ふらっと降りた町で和犬が二匹いるバーを見つけた。まだ幼い赤毛の子はかまってほしいとばかりにずっと私が座った椅子の周りをぐるぐると回っている。黒毛の子はチーズが大好物で、食べていると目の色を変えてすっ飛んでくる。ごめんね、人間用だからあげられないんだ…と思いつつもうるうるの瞳に見つめられ切なくなってしまったので、次に来たときはチーズを頼まなかった。大好きなチーズが食べられなくてもこのお店にはいきたい。

パスタを頼むとマスターは、お客さん、チーズ好きでしょ?と言ってたっぷりのチーズをかけてくれた。家からのアクセスは微妙だけれど、あのお店に行きたい。おいぬさまたちとマスターの渋さ、よく会う優しいお姉さん、そこにおいしいお酒が相まってそれはもう幸せな空間!

ちょっと遠くて大好きなチーズが食べづらいあのお店に、なぜ足を運びたくなるのだろう?

単においしい食事をしたいならウーバーでお店の味を届けてもらうか、冷凍食品でシェフを家に召喚すればいい。コスパもタイパも一番お得。それでもあのお店に行きたい!と思わせる、お店の魅力ってなんだろう。

◎          ◎

学生時代、個人経営のカウンター鮨でアルバイトをしていた。ひとりで切り盛りしていた大将が、ある日どうしても手が足りずスポットバイトで求人を出したところマッチングした私が単発で働きに行ったのがきっかけだった。

「よかったら、うちでバイトしない?まかないはずむよ」

バイトを探していたこともあり、ハイよろこんで!と即答した。下宿先から自転車で40分の距離は冷静に考えるとベストなバイト先ではなかったけれど、これも全部まかないのせい。

いざ働いてみると、衝撃の連続だった。寿司と言ったらもっぱら回転ずししか行ったことない私からすると、もはや異文化。これが回らない鮨の世界か…と思いながら、値段に釣り合う接客をという大将のもと必死に言葉遣いや料理の出し方、日本酒の種類や特徴、ワインの注ぎ方を覚えた。

接待のお客様は特に接客が難しくて、学生だった私は上座下座からはじまり、料理をお出しする順番や領収書の書き方がなにひとつわからなかった。お客さんに苦笑いされたり、大将に叱られたりすることも多かった。

◎          ◎

とある常連さんは、毎回次の予約日を決めて帰っていく。いつも通り予約したい旨を伝えられたので日にちを伺うと「あなたがいるときに来たいのだけど、いつシフト入ってるの?」と聞かれた。左利きなのでスプーンの持ち手を左側に置いたり、タイミングを図りながら次の飲み物を聞いたり、そういうさりげない気遣いが嬉しかったらしい。

常連さんが帰った後、そばで見ていた大将は言った。

「ピリピリして気取った店内で、握られた鮨を仏頂面に出されて…そういう鮨っておいしいのかなってずっと思っていてさ。ここはただご飯を食べにくる場所じゃなくて、幸せになってもらう場所なんだよ。料理にお金を払ってもらうっていうのももちろんだけど、雰囲気を楽しみにきてもらう場所なんだ」

お金を出す人=客と、お金をもらう人=店側という関係だけではなく、人と人の関係を大切に。星の数ほどある飲食店からうちを選んでくれたからには、笑顔で帰ってほしいよね、と言った。

飲食店はただ食事をする場所だと思っていたけれど、大将の「飲食店流哲学」にふれ、またスタッフも幸せじゃなきゃと言って有給や試験期間休みなどにも配慮してくれた大将の人となりを知って、食べることには栄養以上の価値があることを知った。

◎          ◎

お店では、食事以上にこころのおいしさを感じられるな、と思っている。お店の雰囲気、一緒に楽しむ仲間や、自分だけで過ごす大切な時間、スタッフさんとの会話。お店ならではの価値を楽しむ瞬間って、とても贅沢。

鮨屋のアルバイトを卒業し、4月からはとある会社の新入社員として働いている。怖い上司と残業続きの毎日に結構ぐったりしている私を癒してくれるのは、グラスいっぱいのお酒とおいしいごはん。

心身ともにHPを全回復させて、また来週もがんばりまーす!