国も世界も生きている。無関心だった私が政治に興味を抱いたきっかけ

一人の意思が何なのさ。
選挙、もっと大きい括りで言うと国、と言うものに対する私の感想だ。
諦めに近いその感情では、当然興味関心が湧くわけでもなく。
お恥ずかしながら、これまで選挙に本気で関心を持って向き合ったことはない。
関心の有無で自身のリソースの割き方に違いがあるのはほとんどの人間がそうだろう。
その割合については人それぞれだと思う。
私の場合は、関心事99%、それ以外1%。まあ、極端も極端である。
この関心事も非常に移り変わりが激しく、明日にはそれ以外の可能性もある。
毎日凄まじい情報の中で生きる私の興味関心を惹きつける何かとしてあり続けるには、圧倒的主観による面白さ、もしくは人生に直結する重大事象とみなされるしかない。
大事なのは私がそう思うかどうか、だ。
明らかに人生に影響するだろう、と思わしき内容も、私がそう判断しなければそれ以外であり、見る間も無くトラッシュボックスへ一直線だ。
選挙、多くの人からすれば自分の日々の生活、未来の生活に影響を及ぼす重大なこと。
しかしどうにも私はその行為に価値を明確に見出すことができないでいる。
明らかに興味関心の対象外であり、私の性格上選挙に行くことはおろか、情報の獲得すらも怪しいイベントであるが、一応選挙権を持つ国民としての権利を果たすという理性の方が勝るため、形式上選挙には行くし、ざっとではあるが政策内容を確認もする。
しかし本気で、自分事として選挙を見たことは思い出せない、イコールないのだ。
その背景には、選挙を通していい意味での変化を実感できたことがないことに対する諦め、紆余曲折はあるが人生についてゆっくり考えることができるほどには幸せだという現実の2つがあると考える。
1つ目は、単純に自分自身に影響を与えた良い政策が思い出せないということだ。今の今まで100%政治の影響を無しにして生きてくるなど到底無理な話なのだが、あまりにも遠い世界すぎるがゆえに、自身の生活変化に結びつかないということが現状なのだと感じる。志高い大企業社長のポリシーが現場の細部にまで浸透していない場合と似ている。
2つ目は、選挙というものに自分の人生が縛られていないということだ。本当に必要であればものやことへの関心投資を惜しまない、そんな私の人生観サングラスをかけた状態で選挙に視線を向けて見れば驚きもない、そこには何も映らない。必要に迫られていないというのはそれだけで私の関心から漏れ落ちてしまうのだ。
アンチ選挙、よりも酷いほぼ無関心という国民としてあるまじきスタンスを貫いてきた私。しかし最近、世界の国々の関係について、時代背景を織り交ぜながら丁寧に説明してある動画を通して選挙、国政に関する興味を抱き始めた。
人一人の信じる圧倒的な正義が伝播し、大衆の正義となり、国の形やあり方を変えてきたこと。それら全てが過去ではなく、ただ私が経験しなかった現代であるということを理解させられた。
当たり前だが国は生きている、世界は生きている。
国は変わっていく、世界も変わっていく。簡単に、とは言えないが日本が今後永続的にあり続ける保証もどこにもないのだ。
私たち一人ひとりの舵を切る力は小さいかもしれないが、国を生かすも殺すも私たちなのだということを理解した私、次の選挙は前とは違う気持ちで臨むことができるだろう。
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