20年というまだ短い人生ではあるが一度だけ一目惚れをしたことがある。
録画していた音楽番組で歌って踊るアイドルだった。5歳から推しがいる生活の私、小学3年生にして人生2人目の推し。

CDやグッズを買うことも、コンサートに行くことも、そのグループのものが初めてだった。
初めてコンサートに行った時、絵本の中に飛び込んだかのような濃い世界観に11歳ながら驚いた。コロナ禍でコンサートが中止になってしまった2020年を除いて毎年行っていた。他のグループのコンサートに行くと物足りなさを感じるほどに濃ゆい世界観に浸る2時間半が大好きだった。

◎          ◎

自分なりに推し活を楽しんでいたある日、テレビのニュース番組から聞こえる「速報です」というアナウンサーの声。ネットで流れていた情報を知っていた私は嫌な予感がした。きっと推しのことだ、と。

「不祥事を起こし一定期間活動を休止する」とアナウンサーは言った。そのグループだけが、その推しの存在だけが救いだった当時は絶望した。それからしばらくはその人が推しだと言うことができなかった。

2週間ほどで活動を再開した推しだったが、ファンの「おかえり」「また頑張ろう」という声が掻き消されてしまうほど大きかった批判の声。芸能人相手だからといってなんでも言っていいわけではないが、世間の批判が正解というかそう言われても仕方なかったのかもしれない。

◎          ◎

それから数年後、2022年に行ったコンサートでは過去一番のファンサービスをもらった。言葉では表すことができないほど嬉しかったのを覚えている。
胸を張って推しだと言えない時でもファンを辞めることをしなかった私は、2024年3月推しの結婚を機にファンを辞めた。

かっこよくて、二足の草鞋を履いていた推し。そして何よりも声が好きだった。いろんなタイミングで曲の歌詞や推しの言葉に救われた。

それでも、結婚だけは受け入れることができなかった。好きだった声も聞きたくない。落ち着いた今は、そんなことまで思うほどに推しとしてすごく好きだったのだろうなと感じている。

グループ自体も好きだった。こんな状態では1番好きなコンサートに行くこともできない、そう思うとファンを辞めることも辛かった。ただ今までのように応援できる自信は少しもなかった。

◎          ◎

CDやグッズを買うこともなく、コンサートに行くこともなくなった今でもSNSに流れてくるとスルーできない自分がいる。髪が明るくなった元推しを見てハイトーンかっこいいな、なんて思ってしまう時もある。恋愛に例えると今の私は元推しに対して未練タラタラという状態なのかもしれない。

正直元推しを推している間、ここに書いているように楽しかったことばかりではない。そして今もなんとなく残っているわだかまり。
自分的にスッキリしない終わり方ではあったけれど、元推しに出会えて良かったと思っている。
たった1人の元ファンの小さなこの声が届くことはないだろうし、こんな言葉が元推しに必要がないのも分かっているけれど、あなたの声に、言葉に救われていた9年間が幸せで楽しかった。
幸せになってね。