唐突に始まった苦く短い恋と自分を守ることを選んだ決断の記憶

こういうのを一目惚れというのかは分かりません。けれど、最後にした恋は、まさに、一目惚れのような唐突さで始まりました。彼と出会ったのは、何の変哲もない道端でした。
相手は、仕事中。あくまでも仕事の一環で、彼が私に声をかけたのが始まりでした。場所こそ道端ですが、コンビニや洋服屋さんと一緒。店員と、お客さん。それ以上でもそれ以下でもない会話が始まりました。
けれど、言葉を交わすなかで、私は何となく相手に離れがたさを感じました。波長が合っている相手だとすぐに分かったのです。特に中身のある話をしたわけではないのに、彼から商品を買って家へと向かう道すがら、こんな思いが生まれていました。それは「もう一度、彼と話してみたい」というものでした。
ここまで話すと、大体の人は、「それってつまり、一目惚れ?」と合いの手を入れてくれるのですが、一目惚れかどうか、私には自信がありません。第一印象は、「道端で商売をしている、ちょっと怪しい人」でしかなかったので、「ひと目見た瞬間に恋に落ちる」のとは違う気がします。「この人が好き」というよりも「この離れがたい感情が何なのか、この感情を抱く理由を知りたい」という思いの方が強かったのです。
でも、とにかく、そんな風にして私たちの恋は始まりました。
後日、何とかして再会した彼は「自分は一目惚れだった」と言っていました。私は、こんな奇跡があるのかと思いました。育った地域も、環境も、年齢も、好きなことも、まるで違う彼。でも、道端で出会ったその最初の瞬間にお互いに惹かれ合っていたという事実に私は驚き、嬉しくもなりました。
けれど、初めこそ気が合ったものの、付き合う日数を重ねるほどに衝突することが増えていきました。1つ1つは小さなズレですが、私は次第にこう思うようになっていきました。自分にとっての当たり前を満たしてくれない相手と付き合ってしまった、と。どうやら、相手も同じことを考えていたようでした。
彼は、明らかに私を変えたがっていました。彼は、「今の私」を好きでいてくれてはいませんでした。次第に、彼が私にかける言葉は、激しい否定の言葉に変化していきました。「今の私」がいかにつまらなく、取るに足りない存在なのかを説明するその言葉は、私にはあまりにも辛いものでした。
考えようによっては、「自分を成長させてくれる素敵なパートナー」かもしれません。でも、度がすぎているように私には思われました。
それでも、愛のある否定だと信じた瞬間もありました。でも、そのうちに「あなたにそんなことを言う権利はない」と思うようになりました。たとえ「愛している」と言われたとしても、私に向かって放たれる言葉から愛を感じることはできなかったから。
そうして、半年も経たずに、私たちの恋は終わりを迎えました。
最近、この恋の意味を私は考えています。もう終わったことだと忘れてもいのですが、どうしてもそのままにしておけない性分なのです。この恋から学んだことはいくつかありますが、そのうちの1つは、「自分で自分を守らなくてはいけない瞬間が人生にはある」ということです。
彼に否定の言葉を浴びせられている時に、「あなたは孤独な人間だ。困っていても、誰も助けてくれないだろう」と言われたことがあります。彼に散々に言われているこの瞬間こそ、私は「誰かに助けてほしい」と思いました。と同時に、誰も隣にはいない現実もひしひしと感じていました。
彼の言う通り、私は1人でした。目の前には、「愛している」と言いながらも、平気で傷つけてくる人がいるだけ。
そんな時、唯一私を助けられるのは、私しかいませんでした。「あなたにそんなことを言う権利はない」と、Noを突きつけること。「愛している」という言葉に惑わされず、孤独を恐れずに、自分を守ること。
そうするだけの強さを手に入れるために、しなければならない恋だったのかもしれない。唐突に始まり、唐突に終わった恋を、今はそんな風に考えています。
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