「青を振れ」唐突に込み上げた衝動。終演時、彼は推しになっていた

約三年前。舞台俳優である「推し」に落ちたその瞬間を、わたしは今でも鮮明に覚えている。
その頃はまだコロナ禍のさなかで、舞台芸術も規模の縮小や声出し禁止などの制約を受けていた頃。そんな時期にとある二.五次元ミュージカルで出会ったのが彼だった。
舞台の公演期間中に、彼は靭帯に怪我を負ってしまう。それが元で、舞台の演出は一部変更され、彼は舞台裏から声だけ出演したり、あるいは足に負担がかからないように椅子に座った状態でパフォーマンスを行うことを余儀なくされた。
観劇前に怪我の話を耳にしたときは、まだ推しではない、会ったことのない彼に対して、心配だな、でも頑張ってほしいな、とただふんわりと思っていた。
しかしいざ劇場に行き、彼に出会い――他のメインメンバーが歌って踊る中で一人座っている姿を見た瞬間、ぐっと強く胸が締め付けられた。
このミュージカルは、彼が初めてもらった舞台俳優としての仕事だった。そんなデビュー戦の中で、舞台の上、一人座ったまま歌うしかない。それはどれだけ悔しいことだったのだろう。
実際に彼は後々インタビューで「葛藤はあった」と述べていた。悔しい思いを抱える中で、しかしそれでも椅子に座ったままそのてのひらを動かして、少しでもパフォーマンスを見せようとしていた。その美しい指先を見ると、何だか急に泣きたくなった。
青を振れ。
それは唐突に込みあがってきた衝動だった。皆が手にしているペンライトは、それぞれのメンバーに割り振られた色に光らせることができる。みんな「推し」の色を点して、そのペンライトを曲に合わせて振ることで「推し」への強い想いを表現するのだ。
けれどわたしはこの瞬間に至るまで、誰の色を振るか決めていなかったのだ。
青を振れ。
そうするしかない、と思った。青は彼の色だった。比較的舞台に近い席だったこともあり、青を振ればほんの少しでも推しの目に入るかもしれない、と思った。
悔しかったかもしれない。苦しかったかもしれない。その葛藤がどんなものだったかなんて、わたしには到底測り知ることはできない。
でも少なくともここに、今日あなたの顔が見れてよかった、会えてよかったよ、ありがとう、そう思っている観客がいるんだよ! ということを少しでも伝えたくて、推しを全力で見ながら青を振り続けた。自分にできることを精一杯やるその姿に胸を打たれ、舞台が終わる頃には、彼は大切な「推し」になっていた。
そんな舞台の大千秋楽公演。大千秋楽の日も、推しは怪我した身体に負担をかけないパフォーマンスという制限を抱えたまま、精一杯歌っていた。
最後の舞台挨拶。観客席を見つめて、口を開いて何かを語ろうとした推しは、しかし目に涙を浮かべて言葉を詰まらせた。彼はずっと明るく笑っていて、SNSでもマイナスな言葉はまったく言わなかったけれど、それでも、苦しい中で頑張っていることはみんな分かっていた。
そんな推しには、万雷の拍手が浴びせられた。コロナ感染拡大予防のため、観客の発声が禁じられていたのだ。だから彼に投げかけられる言葉はなかったけれど、それでも必死にてのひらを叩くみんなの拍手の音が、推しの健闘を湛えていた。
あんなにも透き通った美しい瞬間を、わたしは他に知らない。色んな制約を抱える中で、それでも懸命に演じた役者と、懸命に応援しようとした観客。心を分かち合うために、言葉さえ要らない瞬間がそこにはあった。
そんな舞台から三年が経ち、怪我も無事完治した推しは今でも舞台に立ち続けている。
元気に歌って踊る推しの姿を見ながら、わたしはあの日と同じ想いを乗せたペンライトを振り続ける。あなたに会えてよかったよ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。