一番似合うと思っていたショートカットがしっくりこなくなった

最近、なんだかしっくりこない。主に、髪型が。2年半、耐えに耐えて伸ばした髪を切って、念願のショートにしたというのに。(髪の毛を伸ばそうと決意したときのエッセイがこちら)
そうは言っても、切ったのは半年前。見慣れないというわけでもない。これが、"飽き"なのだろうか。
ショートはわたしが1番似合うと自負している髪型だった。中学生の時に短く整えて以来、自分にはこれしかないと思って生きてきた。なんなら、長い方が野暮ったいとまで思っていた。
なんだろう、この髪色が違うのだろうか。長かった時だって、特別ヘアアレンジを極めていたわけでもなかったが、短いとどうすることもできないからという理由で、いつでも髪色で遊べるように明るくしたのだが。
学生時代、散々ブリーチから原色から、あらゆる明るい髪色をやりつくしたと言っても過言ではないはずなのに。
ショートカットが似合わないと思うようになる日が来るとは思ってもみなかった。わたしがわたしらしくいられる理由の一つがこのショートカットだった。髪を切るのが趣味だとすら思っていたくらいだ。
自分の中では大きな目的があったものの、ショートカットにすることを楽しみに、2年以上かけて髪の毛を伸ばした。念願叶って数か月後に、”似合っていないかも”と思う日が来ようとは。これが一種の”老い”なのか。
否、”変化”と捉えるべきだろうか。体型や体質だけでなく、好みだって日に日に変わるものだ。似合う、似合わないにも変化があるのだろう。
思えば、似合うと思っていて、一番しっくりくるからショートカットを維持していたというのは前提だが、髪が長いということが”自分らしくないから”という理由で髪を切ることも少なくなかった。
要するに、髪が長いことで自分らしさを失っていると思い込んでいたということなのかもしれない。
ショートカットだった時代は、自分のことでいっぱいいっぱいで、生きることに必死で、でも消えたくて。それでも、何者にもなれない自分を失いたくなくて、どうしても守りたかった。そんなめちゃくちゃな渦の中で溺れていたのだと思う。
溺れているのに、髪が長かったら邪魔だもんね。
その渦中から顔を出して息をする余裕くらいは生まれてきているのかもしれない。あるいは、そこに対する執着がなくなったとも言えよう。
思い返すと、あんなに満を持して2年半ぶりに髪を切ったにもかかわらず、それほどの達成感や感動は抱かなかったような気もする。その時点で、ショートカットに対してや、あの頃の自分や過去に対してのこだわりみたいなものがもう、必要じゃなくなっていたということなのかもしれない。
だからまた髪を伸ばそうと思う。今度は目的なんてないけれど、気の向くまま。自分でも意外に思う。
わたしが、髪を伸ばしたいと思うなんて。でも、髪型を変えても、新しい自分のことを好きになれるような気がする。
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