髪を伸ばし始めた。世間の目から少し自由になれた気がした

髪を伸ばし始めて、もう一年以上になる。
ショートカットだった長さから、肩の下までやっと伸びた。伸ばしかけの髪というのは、とにかく鬱陶しいもので……何度、「もうバッサリいってやる!」と癇癪起こしそうになったか分からない。実際、今まで何度もそうして、髪を伸ばすことに挫折し続けてきたものだ。
髪を伸ばすようになったきっかけは、やっぱり彼氏ができたことだと思う。彼は特別、長い髪がいいだとか、服装をああしろこうしろと小うるさく言う人ではないのだけれど(むしろ、彼女の方が、髪やら化粧やらにあまりにあれこれこだわって、トイレのたびに化粧直しに時間がかかるだとか、そういうことの方が嫌であるらしい)、何となく、私の方で、いかにもな「女の子っぽさ」みたいなものを、自分に求める心境に変化したのだ。
何度目かの正直の長い髪は、結構楽しい。
YouTubeでケアの方法やアレンジの動画を漁りながら、不器用な手先を何とか駆使して三つ編みの練習をしてみたりして、そうしていると、そういえば、学生時代、ギャル全盛期の時代に、派手な巻き髪のお姉さんに憧れながら、そういうものに一歩踏み出す勇気がなかったなあと思い出した。
そのときは、学校や地域の中で変に目立ちたくない、という気持ちが強かったように思う。
「あそこの〇〇ちゃん、この前こんな髪型していて」「こんな服着ていて」と、自分の預かり知らぬところで、あれやこれやと話の種にされるようなことが嫌だったのだ。
田舎のことだから、そういうことは日常茶飯事と言っても良かったかも知れない。
そして、「あの子、大して美人でもないのに、あんな派手な格好しちゃって」「あんなんじゃ親は苦労するよ」だとか、そういう評価じみたことも一緒についてくることが、ものすごく嫌だった。放っておいてよ、と思う。思春期のときは特に、異性の目を気にして髪型や服装を決めることや、そういう、「どのような見た目か」「振る舞いか」の部分に、「女」としての存在の評価というか、ジャッジというかが直接に下されまくるようなのも、何だかものすごく嫌だった。
そんなにみんな、他人に興味あるのか?別に、誰が何着てようがどんな髪してようが、それはそんなに、あれこれ感じて、気にして、あれこれ言っていなければならないほど、自分の人生と生活に影響あることではないと思うけどな?だって、赤の他人の話じゃん?
どーでもよくねー?
……と、私は思ってしまったりすることもあるのだけれど、そういうことではないのだろう。
地味で髪も短くて、むしろ男の子っぽかった女の子が、急に彼氏とあちこち出かけまわるようになり、髪も伸ばし始め、他人の必要以上の干渉を面倒くさがって、これまでの礼儀正しさより、多少素っ気なかろうが、必要以上の人付き合いとコミュニケーションを避けるようになり、もしかするとそれは、田舎の狭いコミュニティの中では、「まああそこの家の子はどうしちゃったのかしらねえ」なんてやつなのかも分からない(というか、そもそも人間の社会性として、終わっているものかも知れない)。
知ったことか。私の自由にさせてくれ。
良くも悪くも、他人の目や口に中指を立てるようになった私は、だいぶ図々しくなったものだと、自分で思う。
それは、三十歳を目前にした年齢のせいなのか、それとも、もう他人から言われる言葉をいちいち気にしていい子にしているのにも、面倒くさくなって、疲れてきたからなのか。
伸び始めた長い髪を、慣れない手つきでまとめたり編んだりして、それはものすごく不恰好なものでしかない。不慣れと不器用がそのまま表れていて、正直、ちょっと恥ずかしいな、と思うこともあったりする。
でも今、短い髪で世間を斜めに見上げていたときより、ちょっと、生きているのが楽しいと思う。
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