「女の子にとって、前髪は命」と、誰かが言っていた。そんな命と同等レベルに重要らしい前髪を、私はなくした。

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街行く女子高生を見ると、手鏡や折りたたみ式のコームを持ち歩き、常に前髪をチェックしていることが分かる。話している時も、無意識に前髪をいじって、整えようとしてしまうのは共感できる人も多いのではないだろうか。

かく言う私も、高校生の頃はいかに前髪を綺麗に保つかに、かなりの労力を費やしていた記憶がある。水で濡らして、根元から癖を伸ばす。乾かす。アイロンを通す。オイルで良い具合の濡れ髪にする。ケープをこれでもかとかける。こんなことを毎朝やっていたのだから、あの頃の私にとって、前髪がいかに重要だったかがお分かり頂けるだろう。

何故そこまで、前髪を大切にしていたか。それは、私が面長だからである。面長は前髪を無くすと縦が強調されて、顔がさらに長く見えてしまう。だから、少しでも前髪を綺麗に保ち、顔を小さく見せたかった。風が吹こうもんなら必死に治したし、梅雨で髪がうねうねになっても、前髪だけは無くせなかった。ないよりはマシだと思っていた。

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そんな私が変わるきっかけになったのは、大学生になって、初めて海外旅行に行ったことだった。私はアイルランドに3週間、私費留学した。建物の厳かな雰囲気や、日本とは違う甘い甘いお菓子など、印象的な文化の違いは様々あった。

しかし、最も私が衝撃を受けたのは、街行く女性の中に、前髪がある人がほとんどいないことだった。まさかと思い、3週間前髪がある人をカウントしたが、たった2人しか前髪がある人を見なかった。帰国後調べると、前髪を作るのは子供っぽく見えるから、ウェーブがかかっている髪質が多いので扱いが大変だから、などといった理由があるらしい。

しかし、そんな理由以上に、彼女たちは自分に自信があるから、あえて顔を隠すことをしないのだと思う。どんな顔型でも関係なく、自らの顔をこれでもかとさらけだし、皆誇らしげに颯爽と歩いていた。私には、それがとてもかっこよく見えた。面長がなんだ。誰一人、私と同じ顔の人はいない。皆が個性を持っていて、オンリーワンの魅力を持っている。それをどうして隠す必要があろうか。アイルランドに住む人は、皆それをわかっているように思えた。みんな違ってみんないい。勝手に美の基準をつくりあげ、それとは違う自分の顔を前髪で少しでも隠そうと必死になっていた、そんな私が途端に恥ずかしくなり、馬鹿馬鹿しくなった。

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帰国後、私はすぐに前髪をのばし、徐々にセンター分けにして、おでこを出すようになった。人生で初めての前髪なしは、やっぱり恥ずかしかった。しかし、アイルランドで見た女性たちの堂々たる輝きへの羨望に比べれば、恥ずかしさなんちっぽけに感じた。その後、バイトで知り合ったイギリス人に「その髪型すごく似合ってるね」と言われた時は、本当に嬉しかった。顔を隠すものがないと、なんだか自分に自信がついて、気持ちが前向きになったような気さえした。

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前髪がある髪型ももちろん可愛いし、日本においてそれがマジョリティなのを否定するつもりは毛頭ない。しかし、もしそれが顔のコンプレックスを隠すためなら、本当は自信を持って顔を出したいと願うなら、思い切って前髪を無くす所から始めてみるのも良いだろう。自分が思うほど、自分のコンプレックスを他者は気にしていないし、堂々としている人は無条件にかっこよく見えるはずだ。

私のように、ただ髪型を変えることで、自分に勇気と自信が芽ばえることもある。

髪型ひとつで自分を変えることができるなら、女の子は、命ある限り無敵かもしれない。