女の子が髪型を変える。その行動に何かの意味を見出す人は多い。失恋や気持ちの切り替え、ずっと昔には俗世と距離を置くような意思表示の表現として使われることもあったはず。髪の毛は時間をかければ伸びてもとに戻るし、短い方が楽だとすら思う。

それでも、髪の毛は女の子には特別で何かしらの思い入れがあるものだ。時間や費用の効率を考えるなら長くない方がいいのは明らかなに、それでも毎日、夏には汗をかきながら乾かして髪の毛を大切にしてきたのも、その髪を切ったのも私のささやかな意思表示だったと思う。

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私の中学での目標は、所属していた水泳部のメンバーとしての関東大会・全国大会出場だった。そのために、部活とスイミングスクールで毎日のように練習していたし、夏場には1日4回とかプールに入る日もあったくらい切磋琢磨していた。そんな状況では、やっぱりショートの髪型のこの方がずっと多かった。

どれだけちゃんと手入れをしたきれいな髪の毛だって、塩素と一日に何度も濡れて乾かし手を繰り返していては当然傷むし、コンマ数秒を競う世界では抵抗にだってなる。私だって頭ではわかっていたし、こまめに美容室に行くのが億劫で伸ばしていただけで、ロングの髪型に強いこだわりがあった訳ではない。惰性で伸びてしまった髪の毛を乾かす時間は大変だし、首にまとわりつく髪の毛に不愉快な思いもしていた。

それでも私が頑なに髪の毛を切らなかったのは、部活の後輩の保護者から聞いたたった一言だった。大会も迫ったある日、その保護者の方に突然髪の毛をまとめられてお団子にした大きさを確認した後、私に言ったのは、「これは抵抗だよね」という言葉だった。

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今振り返ると、このたった一言が私が部活を引退するまでロングヘアを貫いた一つの理由だった。一緒に練習し目標に向けて努力していた部活のメンバーに言われていたならまだ許せたかもしれない。でも、まったく関係ないその保護者に言われることに私は抵抗したかった。もちろん、中学生の部活では保護者の協力は不可欠だし、言っていることも正しかった。でも、同じ場所で戦っていない人に言われたことに簡単に従えないくらいには私にもこだわりがあった。

結局、私が髪の毛を切ったのは、中学3年生の夏の大会が終わって部活を引退した後だった。部活を引退するまでは切ろうとも思わなかったのにもうこの場で泳ぐことがないと分かった時、ふと髪を切ろうと思った。

引退したら髪型を変えてやると意気込んでいたわけでも、こんな髪型にしたいという希望があったわけでもない。実際に髪の毛を切ったところで、私の視界に大きな変化はないし手入れが少し楽になったくらいだった。

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それからだって、何度も変化を求めては変わらず、髪の毛を切るなんてこんなもんだって経験を繰り返している。それでも、気分転換や何かを貫く・諦める・始める、そんな意思表示として、気軽に変えられるものが体の一部にあって鏡を見る度に思い出せることはきっと素敵なことだと思う。