ドレスよりも髪を切ることが楽しみに。私が髪を伸ばすと決めた理由

結婚願望がない。結婚したいと思えるような相手と出会いたいという願望はあるけれど。そして結婚式に興味もなければ、呼べそうな友人がいない。今となっては父親と縁を切っているため、呼べそうな親族すらいない。そんな私が唯一、惹かれるのはウエディングドレスである。
二十歳の時には振り袖を着て成人式がある。それを模して四十歳の時に、振り袖なりドレスなりで着飾り、集う催しを開いていたお姉さま達をネットで見かけた。十歳の時に二分の一成人式があるのなら、四十歳の時に二倍の成人式があるのも不思議ではない。
着飾っているお姉さま達を見ていいなぁと思うとともに、スルーされている三十歳に思いを馳せた。そうだ、三十歳になったらウエディングドレスを着よう。そう私は閃いた。結婚しなきゃウエディングドレスを着ちゃいけないなんてことはない。
相手の有無に関わらず、三十歳になったらウエディングドレスを着て、写真を撮るのだ。そう決めた。結婚願望はないが、変身願望はばっちりある。ちょうどソロウエディングが普及し始めた頃だった。
とはいえ、まだ三十歳までは五年以上ある。今から用意することは特にない。いや、ある。髪を伸ばそう。長いに越したことはないだろう。そうして髪を伸ばし始めたのであった。
髪を伸ばしていると、美容院に行ってもあまり髪を切らない。髪が整うスッキリさはあるし、綺麗に伸ばすには整える必要があるのだろうが、切る量が少ないのは、なんかそれはそれでもったいない。そう思っているうちに、足が遠のいてしまった。私にとって美容院は髪を切りたくなったら行く場所という感じなのだろう。
髪のケアをしていないわけではないのだが、美容師さんからすれば足りないらしい。髪にケアが必要な状態であればあるほど、美容師さんからの扱いが雑になったり、ケアについて説教まがいのことをされたりする。そしてますます美容院に行きづらくなる。髪に限らず、セルフケアには精神的余裕が求められる。私はセルフケアどころじゃない精神状態の時がままある。髪のケアが出来ていなくても嫌な顔をされず、説教もされない、セルフケアキャンセル界隈向けの美容院があれば良いのにと常々思っている。
そんなこんなで髪を伸ばしていたらかなりの長さになった。腰まで届くようになった頃、休職中の職場の上司と面談することになった。上司は私の後ろ姿を見て「髪、切れてないのね」と言った。休職するほど体調が優れず、髪を切りにすら行けない、上司はそう思っての発言だったのだろう。
わざわざ言わなくても良いものを。一緒に仕事をしたことはなく、数度顔を合わせただけだが、嫌味ったらしい人だった。そうして私の伸ばしていた髪は、切れていない髪になってしまった。そう言われてもなお私は美容院に行けていないのだが。
しかし三十歳を目前にして、ドレスに興味がなくなってきた。恋人が出来て、結婚が夢まぼろしではなく、現実の延長線上に躍り出たからだろうか。
現実問題、髪は伸びたけど綺麗に伸ばせていないし、ドレスを選べないくらいに太ってしまった。こうなるくらいならドレス着たいなと思った時に着れば良かった。こうしてドレス着なくても良いのではと思いつつ、やはり美容院には足が向かない。
もし切るなら、がっつり切ってしまいたい。椎名林檎みたいなショートにしたい。ツーブロックとかに憧れる。髪がそれなりに短い方が手入れが大変なのは承知だ。もう顔色を伺わなければならない家族はいないから、どんな髪型にしても良い。
出来ればヘアドネーションしたいが、こんな髪、使い道があるだろうか。そう考えていて思い出した。髪を伸ばすことの醍醐味は、バッサリ切れることだ。バッサリ切った時の周りの反応も楽しい。
ドレスよりも切った後のことを楽しみに、もう少し伸ばしてみよう。伸ばした分だけ切れるし、寄付など役に立てるかもしれなち。いつか美容院に行ける日も来るだろう。美容院に行けたら自分の身体と向き合えて、いずれ痩せるかもしれない。そしたら自ずとドレスも着たくなるのかもしれない。三十歳を祝うのは、それからでも遅くない。
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