小学生の頃、朝から食器棚の前でよく泣いていた。理由は、服が選べなかったから。

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当時、私の服はアンティークの食器棚に収納されていた。カラフルな服がたくさん詰まっていたけれど、私は毎朝、絶望的な気持ちでそれらを眺めていた。

母が私に着て欲しかったのは、ポップな色使いの、キャラクターのイラストが大きく描かれている、いわゆる子ども服。私が着たかったのは、ベーシックカラーの生地がきれいな服だった。目の細かいニットに貝ボタン、控えめなチェック模様、ウールの光沢や、チュールの繊細な陰影に惹かれていた。 

母はおしゃれな人で、どんな価格帯の服屋でも的確に、自分にぴったり似合う服を瞬時に見分ける能力を持っている。そんな母は私の審美眼も鍛えたかったのだろう。小さい頃からよく服屋に連れて行かれた。

「自分の服は自分で選びなさい」と言われるも、おずおずと私が選んだ服は、たいてい「地味じゃない?」「色が暗い」「値段が高い」と却下された。最終的に母が「これ、かわいいよ」と選ぶのがお決まりのパターンだった。

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なるほど、そういう服を「かわいい」と言うのか。私が好きな服は「地味」で「高すぎ」て「暗い」のか。母の言う「おしゃれ」を学習していくうちに、私は混乱していった。

クローゼットに詰まっている服で、コーディネートが組めないのだ。母が組み合わせると「おしゃれ」になるのに、私が選ぶと変になる。好みでもなく、自分では似合っているとも思えない服たちを、どう組み合わせればいいのかわからなかった。正解のわからないクイズに毎朝向き合ううちに、すっかりファッションが恐ろしくなってしまった。

中学校や高校では制服の存在に救われたが、休日はそうもいかない。友人と会う日は服のことが気がかりだった。自分ではうまくコーディネートを組めないから、母に頼り、母に着せ替えられた服を着て友人に会うと「おしゃれだね」とほめられる。いつまでこうなんだろう、と後ろめたかった。

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大学生にもなると、あるものを適当に組み合わせる術を身につけていたが、おしゃれを楽しんでいる同級生が眩しく見えてしかたがなかった。

社会人になる前に、ちゃんと自分らしいコーディネートを組めるようになりたい。私は大学卒業前に思い切って、似合う色とデザインを教えてもらえるという、ファッション系の診断を受けることにした。

診断で特に似合うと言われたのは「チャコールグレー」。「暗い」「地味」と言われて選べなかった色で、私の肌はもっとも輝いて見えた。嬉しさと驚きと戸惑いが混ざり合い、思わず笑ってしまった。

その後、似合うファッションの特徴は「モード」や「シック」「アシンメトリー」と言われ、さらに衝撃を受けた。母に「似合う」と言われてきた方向性とは真逆だったから。

診断結果に背中を押され、最初はたくさん冒険をした。いままで着なかったような、目立つ色柄の服や、ユニークなデザインの服にも挑戦した。いろいろと試して気付いたのは、一見似合っていたとしても、内面との乖離が気になり、居心地が悪くなってしまう服があること。

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内面にも外面にも合う服はどこにあるんだろう。その謎を抱えて、さまざまなブランドを覗いた。他のファッション系の診断も受けてみた。

次第に、自分の中で「これが好き」という感情も蘇っていた。気付くといつも、シンプルで生地のきれいな服に目が吸い寄せられているのだ。

いつだか、手に取ったグレーのブラウスを、値段にひるみながらも思い切って試着してみた。鏡を見た時、ああ、これだな、と思った。自分の心と体が一致していると感じられて、ひたひたと静かに心が満たされていった。

この小さな成功体験を経て、私はだんだん、自分で満足のいく服を選び取れるようになった。

でも、今こうして思い返してみると、幼少期に好きだったテイストに、見事に戻ってきただけだ。なんだ、最初からわかってたんじゃないか、と脱力してしまいそうになる。

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ずいぶん遠回りをしてしまったけれど、私がこの道のりで知ったことはたくさんある。母には母の「おしゃれ」があり、私には私の「おしゃれ」があること。ファッションは正解のないクイズなんかじゃなくて、自分が一つずつ選んだものが自信となり、地層となり、ファッションになること。

食器棚の前で泣いている、かつての私には「自分の好きに、自信を持っていいんだよ」と伝えたい。自分の「好き」を集めていけば、ちゃんとあなたらしい「おしゃれ」を掴めるよ、と。