月に数回、家ではないところで眠りにつく。地方のビジネスホテルだったり、仮眠をとるためだけのベッドしかない小さな部屋だったり、どこかへ向かう夜行バスの中だったり。そういうときのわたしの荷物は大抵、大きめのボストンバッグとギリギリA4が入るサイズのショルダーバッグに収まっている。正直に言ってしまえば、それだけの荷物で生きてはいけるんだろう。ひとは、少なくともわたしは、案外身軽だ。

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一人暮らしはしたことがないけれど、近しい経験ならある。高校生のときのアメリカ留学で寮生活を経験した。

ルームメイトは初対面、ひとつ年下、アメリカ出身。身長も高く、落ち着いていてクールな第一印象だったのでとても大人びた子だと思っていたら、毎晩家族とテレビ電話をしていたのがかわいらしかった。お互い部屋は綺麗に保ちたいタイプで、朝早いのも得意で、でも夜更かしが好きだった。そういう意味ではわりと相性が良かった気がする。

学年も選択している授業も違ったから、密に関わることもなく終わってしまったのは残念だったけれど。

高校生の頃のわたしは今よりもずっとずっと人見知りだった。誕生日の関係で、アメリカでのわたしは学年の末っ子ほぼ確定状態。体格も小さく言語も拙く、内向的な部分が加速していた。

それでいて人生はつづくと無条件に信じ切っていて、つまるところ一期一会的なコミュニケーションについて考えたことがあまりなかった。ただ、家族や友人に会えないのがさびしくて、好きなものに囲まれてリラックスすることもできなくて、よく泣いていた。

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今一人暮らしをしたら、きっと期間に関わらずそこに根差すようにコミュニケーションをとろうとするのだろう。ほんとうは身体の小ささや言語の拙さはバリアにならないと知っているから。

その場に好きなものを見出して囲まれようとするある種の図太さみたいなものも、もうすでに身につけた。日々を重ねてきたわたしはそういうコミュニケーションや積み重ねの大切さを知っている。

今わたしが1日の大半を過ごしている場所は、たくさんのひとが生活し、眠っている。その理由は様々だけれど、24時間366日、決して眠ることのない不夜城。充実した日々を送る人も、不安な夜の中の人も、人生の波に翻弄されている気分の人も、生まれて初めて眠る人も、人生最後の夜を過ごす人もいる。

たくさんの人生が交錯するその場所に、根差そうと奮闘している。一期一会的なコミュニケーションを極めたような環境にいる。そのめまぐるしさを楽しむ余裕はまだなく、洗濯機の中に放り込まれたかのように掻き回され、疲れ、進む時間に助けられている。

そんな状況だからこそ、興味のある分野と関わってくれる人を支えに、せめて少しでもまっとうな大人に、いつかは誰かの力になれるようにともがいている。

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実家暮らしのわたしの部屋は、好きなもので埋め尽くされている。ほぼ眠るための部屋になってしまっているのが惜しいくらいに気に入っている。

壁一面の本棚に並んだ本、もちもちのクッション、寝る前に振るフレグランス、サメの形の抱き枕。無くても生きていけるけれど大好きなもので溢れたその部屋で眠るときが、やっぱり一番よく眠れる。

そこまで眠りに神経質ではないから、どこだってぐっすり眠れる方だ。それでも、今根差している場所は実家であることを眠るたびに意識せざるを得ない。

とにかく楽しく生きよう、とまず思う。根差せる場所を増やすために奮闘しよう、と決意する。