散歩が健康に良い、というのは、誰もが知っている事だと思う。普段健康については積極的に調べない私でも知っている。

その日も私は、Xのタイムラインを意味もなく眺めていた。
すると「散歩でメンタル安定した」という投稿が流れてきた。

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普段出不精の私は、それを見て安易にも「じゃあやってみるか」と動き出した。
きっかけは大抵、いつもそんなものだ。
どこの誰ともわからない人の呟きひとつで、思い立ったが吉日!と行動をしてみたが、私はすぐにそれを後悔した。

意気揚々と着替えて、靴を履き、外に出た瞬間、頭上から真っ直ぐに強い太陽光が私の体を刺した。
これはちゃんと確認しなかった私が悪いのだが、その日は8月の夏真っ盛りで、1週間ぶっ通しで晴れ続けている、カラカラに乾いた日曜日だったのだ。しかも、時刻は真昼時。強烈な光線は私のつむじを真上から刺し続けた。

日傘も持っておらず、日焼け止めも塗っていない私は、一瞬散歩を諦めて家にこもろうか悩んだが、「すぐに帰れば大丈夫だろう」と判断して、そのまま歩き出した。
わざわざ布団から降りて、着替えまでしたのだから、せめて少しは歩いてみようと思ったのだ。

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その当時暮らしていた家の周りは、何も無かった。
大きな川と、その周りにだだっ広い野原がある他は、特に何もない。
私は川沿いを歩くことにした。そうしたら少しでも涼しいかと思ったが、全くそんな事はなく、ただひたすらむわむわとした熱気に包まれながら、しばらく歩いた。

久々に出歩く外は、とても眩しかった。
ギラギラ照りつける太陽を手のひらで少しさえぎりながら空を見上げると、どこまでも抜けるような青がいっぱいに広がり、触ったら気持ちよさそうな真っ白い雲がゆっくりと空を流れた。

風はぬるい温度で、時折優しく頬を撫でる。
歩き始めてまだ5分も経っていないが、全身汗をびっしょりかいた私にその優しい風があたる度、ほんの少し心地よい涼を得られた。

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さっき私は、「川と野原の他に何もない」と書いたが、それが逆に良かった。
空から視線を少し下げると、どこまでも続く真緑の野原があり、長く生い茂った背の高い草が、熱のこもったそよ風に煽られてサラサラ鳴る。
そんな鮮やかな緑の中に、私の歩く申し訳程度のコンクリートの道が、まっすぐまっすぐ、永遠に続いているように見えた。

空の青、雲の白、野原の緑。まさしく、夏の原風景だった。
人を殺しそうなほどの温度ではあるが、目にはその光景が楽しく、「すぐに帰ろう」なんて考えていたことも忘れて、気がつけば30分以上、川沿いを歩いていた。

しばらく歩くと、段々とコンクリートの割合が増え、人の営みの気配が増えてきた。
さっきまでぼんやりと蜃気楼のように見えていた駅前のビル群が、今はもう目の前に見えている。

道を横にそれた場所に小さな公園があり、その中にはベンチも自動販売機もあったので、私はそこで飲み物を買って休んだ後、家に帰ろうと決めた。

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真夏の午後の公園には誰もいない。
それはこの公園に遊具らしい遊具がないせいもあるだろうが、何よりこんな気温の中を出歩く物好きもいなければ、子供を遊ばせようと思う親御さんもいないだろう。
ここへ来る途中の道でも、自転車とは何度かすれ違ったが、ジョギングをする人や散歩をする人とは1人もすれ違わなかった。

自販機でミネラルウォーターを買って、真夏の太陽に熱されたベンチに腰掛ける。太もも裏にじっとりと熱が写ってきた。

汗は拭いても拭いても噴水みたいに吹き出してきて、着ている服は汗で張り付いて気持ちが悪い。日焼け対策をしてこなかったせいで、肌もじりじりと痛い。
でも、ミネラルウォーターを思いっきり飲んだ後、一息つきながら空を見上げると、言い知れぬ達成感が込み上げてきた。

夏の風景が好きだ、と思った。
汗の気持ち悪さをもたらす暑さはどうやったって好きではないが、今日見た景色はどれも美しかった。
春夏秋冬の季節の中で、夏が1番、周りの風景の彩度が上がって、はっきりと色鮮やかに映る気がする。

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次に散歩をするなら、散歩の時間は考えなければな…と考えながらも、今日そんな風景を見れた事にはとても嬉しさを感じていた。
風景を見ていると帰路もあっという間で、およそ1時間を超える真夏の散歩は、大成功に終わった。

しかしながら、その後の日焼けによるヒリつきは酷く、出不精には厳しすぎる暑さと直射日光のせいで、帰宅後は散々だった。

あの日を思い出すと、今でも目の奥に鮮やかな風景が浮かんできて、夏の匂いまでするように感じる。
ただし、やっぱり夏の散歩は過酷なので、是非、水分補給・塩分補給をしつつ、日焼け対策も万全にした上で、素敵な真夏の風景を楽しんでみてほしい。