「じゃあ2年後に君がアフリカから帰ってきたら日本で会おう」―その約束はついに果たさることがなかった。

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大学2年生の冬から大学3年生の冬にかけて、私はオーストラリアに留学した。留学生活はそれはそれは楽しくて、留学期間の終わりが近づくにつれて、私は日本に帰りたくない気持ちが募っていった。

その理由の一つがいわゆる「友達以上恋人未満」の人である。私が日本に帰国する飛行機に乗る時まで、お互いに一度も「好き」という言葉は使わなかった。それでもほぼ毎日のように一緒に過ごし、その時間は私にとってとてもかけがえのないものであった。

帰りの飛行機の便に乗った時、その人から「好きだよ」というメッセージが届いて、心の底から「今言うなよ」と思った。しかしそれと同時になんとなくまたどこかで会えるような気がしていた。

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日本に帰ってから数ヶ月間は毎日メッセージのやりとりは続いた。毎日どころか起きてる時間は四六時中、メッセージのやりとりをしていた。少しずつ少しずつメッセージをやり取りする頻度は減ってはいたけど、全く連絡が途絶えることはなかった。それどころか、大学4年生になって就職活動に忙しくなった私の相談に乗ってくれたりなど、大切な場面ではいつも親身にメッセージを返してくれていた。

そんな日々がしばらく続き、留学終了からちょうど1年が経った大学4年生の12月、私はクリスマスと年末年始をオーストラリアで過ごそうとオーストラリアに戻った。当時、私は就職活動に苦戦し気疲れしており、一度就職活動をストップしてかねてより関心のあった青年海外協力隊に応募していた。青年海外協力隊とは途上国で2年間ボランティアをするプログラムだ。

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12月のオーストラリア渡航時はまだ書類審査に受かったところで、その後に面接を残した状態だった。「友達以上恋人未満」だった人とそんな自分の状況を話したり、なんとなく他愛のない世間話をしていたとき、その人が「じゃあ2年後に君がアフリカから帰ってきたら日本で会おう」と言った。

それを聞いた私は「それは二つの意味でサイコーだね」と言った。「だって、それって、私が無事に青年海外協力隊に行けるということだし、あなたがずっと来たがっていた日本に来れるということだから」と。その人は私がきっかけで日本に興味をもち、日本のアニメや映画などをよく見るようになって大の日本ファンになったものの、まだ日本に行ったことがなかった。だから、日本に行くというのは、その人にとっての夢のひとつであった。

その人が言ってくれた「じゃあ2年後に君がアフリカから帰ってきたら日本で会おう」という言葉は私の中の希望となった。私より3歳年上だったその人の言うことはいつも正しく、それまでその人が私に言ってくれた言葉は全て説得力があったから、この言葉もきっとその通りになるだろう、という根拠のない自信があった。

当時の私にとって2年間は非常に長いもののようには感じたけれども、それでもなんとかなるだろうという楽観的な希望があった。

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数ヶ月後、無事に私は青年海外協力隊に合格した。赴任地はアフリカではなく中南米ではあったけど、もともとアフリカに強いこだわりがあったわけでもないから、中南米でも全く問題なかった。しかし私が中南米に赴任してから1ヶ月ほど経った頃、突然その人との連絡が途絶えた。何の前触れもなく突然に。

半年くらい経って、私は偶然友達のフェイスブックでその人が結婚したことを知った。まぁ、あるあるな話だと思う。そもそも出身国も違う、住んでいる国も違う、今後の進路を考えた時に一体いつどこで一緒になるかわからない。というかそもそも付き合っていたわけでもない。だから、そんなもんだと思う。

そもそも2年後に日本で会うという話も、きちんとした約束ではなくふんわりとした希望的な話であった。だから、私は裏切られた、とかという気持ちはなかった。けれども、そっと、私の中の希望が静かに消えた。

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それからさらに5年以上が経った今、またもう一度会いたいかと言われると正直わからないというのが本音なところ。これまた共通の友達のSNSでその人には子供が生まれたことも知っているし、私にも私の生活がある。今更どうこうしたいということもなければそもそも恋心も残っていない。

けれども、もしもう一度会えたら、もしももう一度会えたら「時間はかかったけどあの時言ってくれたようにまた会えたね」と声をかけたい。「やっぱりあなたが言ったことは完璧にではないけどその通りになるね」と。