女性の家事負担、賃金格差。苦労を経てもなお母は広い世界を見ていた

私の目から見て、母は沢山の苦労を背負ってきたのだと感じている。
私の母方の祖父母は自営業をしていて、父が婿養子として入ってきた。母には姉妹もいるけど、嫁に出てしまって、俗にいう後継は母だったのだろう。
祖父母と同じ苗字で、隣の敷地に家を建てた。家の周囲には、祖父母が所有する土地。まあ、田舎ではよくある風景だろう。私たちが住む地域では、祖父母世代の人たちが一丸となって同じ事業を始めたという経緯から、ほとんどの家が自営業をしていた。そして、後継がいなければ、事業をたたむし、子供世代あるいは孫世代が後を継ぐという形態の家が多いのも事実だ。そんな狭い田舎で、隣近所のほとんどが同じ事業を営んで、家族が後を継いで、という環境の中で残された母はどういう思いだったか。本当は外に出たかったのではとも思う。私だったら息が詰まってしまいそうだ。でも、親の面倒もあるし、子供のこともあるし、逃げ出すことは容易ではない。
祖父母はやはり事業の後を継いで欲しかったらしかった。母も父も会社勤めをしていたし、特に子供の前では後継者の話はしなかった。繁忙期には、家族ということで手伝いに駆り出された。子供の頃からそれが私にも当たり前で、私も子供ながらに度々手伝っては、少しばかりのお小遣いをもらっていた。
お年頃になると、面倒臭いというのもあるし、部活動や遊びやらで手伝う機会は減っていったが、父と母は毎年、当たり前のように手伝っていた。自分が将来後を継ぐ気があるなら、楽しいならまだしも、社会人になって土日の休みを全て自分のことに費やせている私は、とてもじゃないけど、辛いなと思う。
今は無き祖父母が体調を崩した時も、事業の継続を考えないといけない時も、いつだって最初に頭を悩ませて一番近くで対処しなければいけないのは、母や父だった。
父は時に単身赴任をしていたり、帰りが遅いことが多かったため、家のことは大抵母がこなしてきた。私が子供の頃は、フルタイムで共働きの家庭は今ほど多くはなかったと思う。そんな中で、日中は働いて、家に帰れば家事をして、休日は子供の部活や習い事のイベントや祖父母の手伝い、と慌ただしい毎日を送る母。本当は疲れているだろうけど、自分の時間を確保するためか、母は昔から習い事もよくしていた。
母は時々、青年海外協力隊とか、ホノルルマラソンに行ったらどうかとか、口にすることがあった。今思えば、子供にはもっと広い世界を見てほしいとの思いからだったのかなと思う。小さい頃には海外旅行にも連れて行ってもらったし、地域の国際交流クラブにも参加した。小さい小さい田舎町だ。外の世界、とりわけ外国との繋がりなんて自分から拾いにいかないと無いに等しい。
私が高校生活に嫌気がさしていた頃、留学の話が出た。心配性の父と違って、母は留学したらと積極的。自分自身、まだ高校生で、たった一人で海外に一年間も行くことにそこまで勇気も思いも強くなかったが、母から良いんじゃない?と背中を押されたことは、私の人生の転換点だ。
大学進学を機に県外に出た私。初めてのアパート暮らしを始めるため、大学近くの不動産屋に両親と訪れ、その際に保証人として書いた両親の情報。初めて両親の凡その年収を知ったのだが、職種の違いはあれど、同じく何十年も同じ会社に勤めていながら、父と母の年収は倍程の差があった。母の年収は(今でこそ私はもっと低いのだけど)、新卒で営業職として入社した私の年収と変わらなかった。
ここまで書いて振り返ってみると、母の人生はまるで日本社会の縮図のようにも思えてくる。家族経営の後継問題、女性の家事負担、賃金格差、女性の社会進出。
母が自由に外に飛び出せなかった分、私は広い世界を見させてもらっているし、見たいと思っている。こんな書き方をしていると、母の人生がまるで不幸のような印象を与えてしまうかもしれない。決してそうは思わないし、決めつけてはいけないと思う。それでも、思いつく限りでもこれだけの苦労を経た母は、力強い。
私自身も、社会人になって自分で生計を立てている今。結婚も子供もまだ。それでも決して楽な生活では無い。そして生活の節々に、私は母の強さを実感するのだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。