小学生の頃、「田舎に住みたい」と感じていた理由、中学受験

子供の頃、漠然と「田舎に住みたい」と思っていた。具体的な場所などは想定せず、とにかく「田舎に住みたい」と思っていた。
思い返せば、私が「田舎に住みたい」と思い始めたのは、中学受験の勉強をしていた小学校高学年の頃だっただろう。いわゆる教育熱心な両親のもとで育った私は、気づいたら塾に入って、中学受験の勉強を始めていた。
首都圏ならではの地域性からか、中学受験をする同級生はそれなりにいたし、同じマンションには私立の小学校に通っている人もいたから、「私もみんなみたいに電車に乗って中学に行くのか」くらいに思っていた。
いざ塾に入ると、毎月テストが行われ、成績順に順位表が張り出された。その時に初めて、教室の隣の席で仲良くしゃべっていた友達は、競い合う存在なのだと知った。
競い合う存在は塾の友達だけではなかった。習い事が同じあの子も自分の志望校を受けるらしい、幼稚園が一緒だったあの子の第一志望は御三家らしい、そんな話をたくさん聞くようになった。
10〜12歳の子供がお互いの成績を探り合い、その親もまた自分の子供の成績というカードを武器に、常にけん制しあっているような気がした。
そんな時、地方によっては中学受験という文化がものすごく珍しいものになるということを知った。その地域では小学生で塾に行ってる子なんてほんの一握りで、むしろ稀有な存在になると。
それを知った私は子供ながらに「ああ、いいな」と思った。中学受験をしなくていいということもうらやましかったけど、「小学生が小学生らしく暮らせている世界」がうらやましかった。
その後、中学受験を乗り越え、なんとか私立の中学に進学した私は、そのままエスカレーター方式で高校に進学して、当たり前のように大学受験をした。大学に行かない子は高校にも近所にもいなかったから、大学に行くことが当たり前だと思っていた。
そして大学を卒業後、就職して社会人となった私は、いきなりカルチャーショックを受けた。私立の中学に通っていたことを職場の先輩に話すと「え!?中学受験してるの!?すごいね!」と想像以上に驚かれるのだ。
「いや、全然すごくないですけど…(みんなやってたし)」と返していたのだが、社会人になってからこのやりとりが意外と頻繁に起こるのだった。そして、小学生の時に感じていた「異様な地域性」を久々に思い出したと同時に、自分がいかに限られた狭い世界のことしか知らないかということを思い知った。
また、子供の頃抱いていた「田舎に住みたい」という思いは、「もっと広い世界を見てみたい」という願望だったんだなと自分の中で腑に落ちた。
何不自由なく育ててくれた両親には感謝しているし、中高で出会えた友達とは大人になった今でも仲が良いので、中学受験をしたこと自体に後悔はない。でも、中学受験から大学受験、下手したら就活まで、私の意思は介在していなくて、育ってきた環境によって今の私は形成されているような気がしている。
26歳になった今、田舎には田舎特有のコミュニティがあって、良い側面も悪い側面もあるということは容易に想像がつく。だから安易に「田舎に住みたい」とは言えない。
でも、小学生だった私が今の私を知ったらどう思うだろう。「大人なのにまだココから抜け出せてないんだ」と思われるかもしれない。生まれてから死ぬまで、一生この狭いコミュニティで、誰かと競争しながら生きていかなければならないのだろうか。
やっぱり今日明日は無理でも、いつかココから抜け出して、違う世界に住んでみたい。うんと遠くに行く必要はない、とにかく今とは違う価値観に触れられるような場所で生きてみたい。
小学生の私に「大人ってもっと自由だよ。この先どこで生きていくか、自分で決めていいんだよ」と教えてあげられるよう、残りの人生を過ごしていこう。
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