鳴り響くブザーの音。会場中から注目を浴びた、高校2年の秋

体育館中に響き渡るブザーの音。
早鐘のように打つ自分の鼓動。心臓が耳元で動いているんじゃないかと思った。
手にしたフラッグは汗で今にも滑り落ちそうだった。
高校2年の秋、春の高校バレー埼玉県大会決勝のラインジャッジ(線審)に選ばれた私は、会場中から注目を浴びていた。
試合展開は両チームとも拮抗し、長いラリーも幾度となく続いた。
そのとき、一瞬のことだった。
スパイカーが打ったボールの中心が、わずか5cmのコートライン上、ギリギリに落ちたのだ。
私は瞬時にフラッグを下げ、インのハンドサインを主審に出した。
しかし、選手たちはアウトだったと主張した。
私の判断が誤審ではないか、という空気が立ち込めた。
インか、アウトか。会場の総合体育館中が緊迫した空気になる。
じわり、じわりと、汗が出てくる。
当時、高校生にチャレンジシステムはなく、主審と副審は審判資格を取った大人が担当していた。
ラインジャッジは地区予選を突破したものの、県予選で敗退したチームの高校生が担当しており、審判の最終的な決定は全て主審に委ねられていた。
しかし、会場中の視線、何なら地方テレビ局のカメラさえ、私をとらえていた。
主審がハンドサインをすぐに出さず、副審を呼んで状況確認をし始めたからだ。
顔がどんどん熱くなり頬が火照る。
誤審だと思われているのかもしれない。
明らかな誤審であれば、主審がラインジャッジの主張を取り下げさせ、すぐに主審が正しい判断結果をハンドサインで表す。
それをしないということは、主審側にも確固たるものがない、ということ。
手汗が止まらない。こんなことは初めてだった。
自分は小学生のころからバレーボールを続け、ラインジャッジの経験も同年代の中では豊富な方だった。
もちろん誤審をしたこともあるが、高校生になってから誤審と判断されたことはなかった。
県トップの試合だ。球速も地区予選とは段違い。しかし、女子の試合であれば私は正確に判断できる自信があった。
この審判を待つ時間が1番試合の流れを変えることをプレーヤーとしても理解している。
ましてやこれは春高の県大会決勝。大勢の応援が駆けつけ、全国大会に出場するチームが決まる試合。
主審がリアクションを起こすまでの時間が永遠のようだった。
その間に、冬に向かう季節に合わないほど汗をかいた。
いっそ誤審なら早く済ませてくれ。この大勢の前で誤審をするなんて恥ずかしいことはないが、それよりも早く、刺さる視線から解放されたかった。
鳴り響くブザーの音。
主審が私に手招きをした。異例の事態だ。
主審のところまで歩くだけなのにシューズの中の靴下がよれるほど汗をかいていた。
顔はますます熱くなる。周囲の視線が痛い。
でも自信があったから顔を上げて足早に向かった。
「どう見えた?」
主審は単刀直入に聞いてきた。
「ほぼアウトに近いんですが、ボールの中心は間違いなくライン上に落ちました」
見えたものをはっきり言うしかない。
こうして主審と話しているところに、地方テレビ局のカメラが寄ってくる。
勘弁してくれ。
顔中が高熱を出したときのように熱くなり、もう少しで涙が出てくるんじゃないかと思った。
「僕が主審台から見た感じではアウトに近かったけれど、ボールの中心が落下したのが見えたんだね?」
「はい」
私の答えを聞いた主審が、ブザーを鳴らしハンドサインをした。
判断は、イン。
安心とともに一気に冷める体。
コートの向こう側では歓声が上がっていたが、私がジャッジしていたコートからは私を鋭く刺すような視線が集まった。
嫌な汗がまた流れだしたが、主審のハンドサインは変わらない。
私が正しかった。そう自分に言い聞かせるように足早にもとの位置に戻った。
その後のプレーもボールが落ちる度にジャッジを繰り返す。
フラッグを握る手の汗で、フラッグを手放してしまわないよう、何度も汗を拭いた。
選手たちや観戦者たちがこちらを見る素振りは気にならなかった。それは主審が私のジャッジを信用してくれたから。
試合が終わって、フラッグを返却し、ようやく部活の仲間のところに駆け寄ると「めっちゃ緊張したでしょ!お疲れ様!」と、労ってくれた。
後日、地方局の放送を観ていた少女バレー時代の恩師からメールが来た。
「放送で観る私たちはインかアウトか分からない。でも、なおこが堂々としていたこと、主審と話すときもしっかりした姿が映っていて、「あぁ、インだったんだな」と思ったし、何よりそんな立派なラインジャッジをするあなたが素敵だった。誇りに思います」
そんな内容だった。私にラインジャッジを叩き込んだのはその恩師。
小学生の私に、「ラインジャッジは高校、大学と進んでも選手が担当することが多い。間違いました、は許されないの。その判断で流れが変わったり、勝つチームが負けたりすることもある。自分が試合をしている感覚と集中力を持ってやりなさい」と話してくれたのを今でも覚えている。
バレーボールをプレーする中でたくさん汗をかいてきた。それでもやっぱりあの1つのジャッジを忘れることはできない。
それも青春の汗だったのだろう、と今では思う。
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