夏休みのプール開放日、蒸し暑い夏の夜がいつもより涼しく感じた

小学校の頃は授業のほかに、夏休みになるとプールの開放日があった。
夏休みは教科書などは持たず、プールのためだけに学校に行くことがとても楽しみだった。
キャラクターがプリントされた透明のビニールバッグに、スクール水着と帽子、花柄のタオルを入れ、夏の強い日差しの中、いつもとは違う時間帯の空気を吸いながら夏休みの学校へ向かう。
しかも靴下に運動靴ではなく、普段は御法度のビーチサンダルを履いて学校へ行くのだ。
足もとは軽く涼しく、プールの独特の匂いと水しぶきを想像しながら、ウキウキした気分で歩いて行く。
その夏のプールを思い出させるのが、あの塩素の匂いだ。嫌いな人もいるだろう。
プールサイドに入ってすぐに入る腰洗い槽を、地元では「せんたいそう」(洗体槽?)と呼んでいた。
列になって入る、くぼ地状の殺菌目的の腰洗い槽は現在ほとんどの学校で廃止されているらしいが、その水はいつもお約束のように冷たかった。どの生徒もブルブルと震え、ギャー!と声を出して進む。
楽しいプールの前の洗礼だったが、あれは本当にストレスだった。
プールサイドで体育座りで待ち、入ってよし!の合図を待つ間にも固形の塩素剤を追加で撒く先生もいた。
プールの塩素剤の匂いは、すごくいい匂いとは思わないが、楽しかったプールの思い出の匂いだ。
いまでも夏に近所の学校の前を通ったとき、塩素剤の匂いがすると、「あ、プールだ」と懐かしい気持ちになる。
病院独特の消毒液の匂いでもなく、歯医者の匂いでもない。
清潔感がありそうに思えて、やはり化学的な匂いであり、揮発性のありそうな、ちょっと強めの主張がある匂い。
子供たちの入水を待っているプールの表面は、太陽の光が反射してキラキラと揺らぎ、鮮やかなブルーでペイントされたプール槽は、行ったこともない南国の海辺のようなエメラルドグリーンに見え、さらによく見るとプールの表面から差し込んだ光が底にも映り、揺れているのが見える。
ようやく合図があり、プールサイド長辺のそれぞれ両側から一斉に生徒が、はしゃいだ声とともにプールに入る。
泳ぐ前に全身をプールに浸し、水温に体を慣らす時間だ。
もぐったりバシャバシャと水を叩いたり、クラスメート同士が水を掛け合ったりして、今日は水がぬるい、冷たいを確認する。
そしていったんプールから上がり、今度はプールサイドの短辺、スタート台になる浅い側からのコースに並ぶ。
順番にスタートし、前の人が10メートルほど行くと次の人がスタート。途中で何度も足をつきながら深いほうまで泳いで上がる、を繰り返す。
途中休憩の時間には、プールサイドで先生の水泳指導もあったが、その教え方は元水泳の選手でもなんでもなかったなと、社会人になってからわかった。
プールサイドにいっぱいの生徒への水泳指導も、先生の数を考えればひとりひとりは無理な話だった。
夏休み中のプールには、普段の授業より自由なところがあった。
一番好きだったのは、終わりの10分前に25メートルプールに全員が入り、一斉に時計回りに歩く「にんげん洗濯機」だった。
生徒たちの一斉の動きで水の流れが徐々に発生し、泳がなくても体を浮かせるだけで前に進むのがすごく楽しかった。
有料のレジャープールにある波の出るプールより楽しく感じた。
思い出の塩素の匂いは決して自然なものではなく、ただの化合物の匂いでしかないのだけど、これが、学校のプールの匂いとして、いまだにキラキラした暑い夏の楽しかったプールの時間を思い出させる。
当時の生活が親の庇護のもとにあり、あの頃の夏だからこそ思い出す「匂い」の記憶だ。
プールの帰りは疲れに加えて、ビニールバッグに入れた濡れたタオルと水着で少し重くなったが、頭のてっぺんから足の先まで、プールでクールダウンしたあとのスッキリ感もあり、より気持ちはアガっていた。
夏休みのプール開放日があった日は、蒸し暑い夏の夜もいつもより涼しく感じた。
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