暑さも忘れて向かった黒ヶ浜。あの日夏を呼んだのは私自身だった

九州地方の形を思い浮かべてほしい。
実は、九州の左側は新幹線が通っているのだが、右側は通っていない。
三連休初日、私は、気持ち早いぐらいの特急で、九州の右側を通り福岡に向かっていた。
車窓から見える景色は、夏そのものだった。
まばゆい太陽の光を浴びて、道端の草や田んぼの緑は嬉しそうにキラキラしている。透明な川の水もプリズムのように無数の色に反射していた。
そんな景色を見ながら、海に行きたい!と思わずにはいられなかった。
翌日はサウナに行こうと約束していた彼氏に連絡をする。
「明日天気良さそうだから、夏っぽいとこ行きたい!」
夏は、夏を呼ぶのだ。
天気を調べ、大分から車で一時間ほど、佐賀県ではない佐賀関(さがのせき)という場所に行くことにした。
昼ご飯は同期がお勧めしてくれたお店に行った。
ここ本当に店?と思うような普通のお家に車を停めれば、「フェリーの時間大丈夫?」と、おじちゃんが声をかけてくれる。
民家にお邪魔しているような感覚に陥る。お店と言っていいのかもわからない。中々料理が出てこないから、心の中では、同期に何でこの店を勧めたのか問いただしたくなる。
おじいちゃんちで待つこと30分。刺身2種8切、小鉢5種と長く分厚い煮魚、立派な茶わん蒸しと、顔を洗えそうなぐらい大きなお椀に入ったあら汁。あまりに豪華で息をのんだ。
刺身が口の中で溶けるし、小鉢は茄子を中心にまとまっていて、これまたおいしかった。
私は単純だから、夏野菜を食べると、夏っていいなと思ってしまう。夏野菜カレーとか、季節を食で感じられるのもまた、日本の良いところだ。
何とか食べ終わると、キンキンに冷えたスイカが出てきた。
パンパンに張った腹をさすりながら向かったのは、黒ヶ浜という海水浴場である。
海は最高だった。
海は青と緑の間みたいな色だった。太陽の光で目はくらみそうになるけれど、海は深さを失わない。
波は思ったよりも高く、白い泡を伴って何度も押し寄せてくる。冷たい。
黒ヶ浜の特徴は、砂浜が黒や灰色の石ころで構成されていることだ。
異論は認めるが、大概の人が海に行くのを渋る理由は、海から上がるときにサンダルを履いた足につく砂がなかなか取れなくて、イライラするからじゃないだろうか。
この砂浜は、そんな思いはさせない。
中学生ぐらいの子どもが、白とピンクの横縞の浮き輪で、海に浮かんでいる。
波が来るたびに、浮き輪は大きく波打ったり、激しい波にのまれて見えなくなったりする。
気づいたらお父さんもそこに加わっていた。
以前お付き合いしていた人は、夏も海も嫌いだった。
かく言う私も、日光が嫌いだった。一度熱中症で救急車のお世話になったことがあるし、嘔吐がとまらなくて点滴のお世話になったことも何度かある。
海とか、プールとか、花火大会とか、夏らしいお出かけをした記憶はない。夏の間は、大抵屋内のデートで事足りていたし、私もそれで満足していた。
それに比べて、今の彼氏は夏だろうと、二人で行きたい場所を一生懸命探して調べてくれる。思い出の場所はいくつもできた。
そんな彼だから、私は「夏っぽい場所に行きたい!」と言えたのだ。
日陰が期待できない海に行きたくなるなんて、昔は考えられなかった。暑いから屋内がいい、と夏らしい予定を立てることを私は拒絶していたのだ。
夏を呼んだのは私自身だった。
黒色の宝石みたいな石たちの上に座ってそんなことを考えているうちに、二つの浮き輪は遥か遠く、小さくなって漂っていた。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。