高校生の頃、私は簿記部に所属していた。商業高校ならではの部活に入りたいと思った結果、簿記部に入ることにした。

部活とはいえほとんど授業と自習の時間のようなもので、日商簿記検定の勉強をしていることがほとんどだった。たまにわからないところを教え合うことはあるもののほとんど一人で黙々と勉強しているし、簿記部はいわゆる運動部のような「熱い」というイメージとは程遠いかもしれない。でも私は間違いなく、簿記部で熱い夏を過ごした。

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実は簿記部では、検定を受ける他に、夏に簿記コンクールという大会が存在する。県の予選を突破すると、全国大会に出場することができる。基本は団体戦だが、団体で全国大会に出場できなかった高校の中から点数が良い人数名が個人で全国大会に出場することができる。

それまでの我が校の簿記部は、簿記コンクールは形として出ているだけで、全国を目指すとか、そんな雰囲気ではなかった。日商簿記検定も、二級に合格すれば万々歳みたいな空気だった。自惚れかもしれないが、そんな部の雰囲気を変えたのは私だった。

私は一年生のうちに二級に合格し、本気で一級合格に向けて勉強した。簿記コンクールも、本気で全国大会を目指して頑張った。先輩方が引退して私が部長になってからはより一層部員を引っ張って、士気を上げて、みんなで一丸となって勉強に打ち込んだ。

二級に合格するのが早かったこともあり、長いこと部内では私が一番できるというイメージが共通認識としてあったように思う。私もそうありたいと頑張っていた。
でも簿記コンクールにおいては、私と同級生の一人の女の子のほうができることは、私は察していた。

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簿記コンクールは問題を速く解くことが重要になってくる。点数を見せ合ったりしなかったものの、隣で解く彼女のほうが速いのは肌で感じていた。

そして迎えた大会当日。私は必死で問題を解いた。そんなに出来は悪くなかったと思う。結果を祈るばかりだった。どうか、みんなで全国大会に行けますように、と。
結果、団体で全国大会に進むことは、叶わなかった。そして隣に座る彼女が、個人で全国大会に出場することになった

彼女の名前が呼ばれたとき、頭が真っ白になった。みんな私のほうができるって言ってたけど、やっぱり彼女のほうが上だったじゃん。恥ずかしい。悔しい。泣きたい。でも泣いてはいけない。おめでとうと言わなきゃいけない。部としては、学校としては、喜ばしいことなんだ。そんな考えが巡って、頭が痛くなった。

どうにか涙をこらえて彼女におめでとうと言ったが、彼女は「なんかごめんね」と言った。その言葉が余計に私を傷つけた。今になって思えば結構デリカシーのない発言だったと思うが、そのときはそんなことにも気づかず、ただ笑顔を保つのに必死だった。

土曜の大会が終わり、重苦しい気持ちのまま日曜を過ごし、地獄のような月曜が始まった。
その日は三時間目の授業が簿記で、担当は簿記部の顧問だった。簿記部の生徒は授業より先まで勉強していたので、いつも簿記部の生徒は一番後ろの席で別の勉強をしていた。もちろん彼女と隣の席で、だ。

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顧問の顔も、彼女の顔も、見れる気がしなかった。顧問には私が悔しいと思っていることを悟られたくなかった。
困った私は、一時間目が終わるや否や学年室に飛び込んで、担任に打ち明けることにした。彼女だけが全国大会のメンバーに選ばれたこと、悔しくて死にそうなこと、授業に出たくないこと。

担任は私の気持ちを、私が何も言わなくても既にわかっていたように思う。二時間目の情報処理の授業を休んで、泣きじゃくりながら担任に話を聞いてもらった。

三時間目の簿記の授業も、当然出られる訳がなかった。三時間目の授業も休ませてくれた。
あの日、担任に話を聞いてもらったことで、気持ちの整理がついた。悔しい気持ちは消えない。でも高校最後の大会で、もう次はない。それは部活を、大会を経験している人なら、負けた人なら誰しも経験することだ。折り合いをつけて、別の何かに向けて、頑張るしかない。

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その日の放課後の部活も休んだ。
翌日用があって情報処理の先生のところに行くと、「簿記コンクールの気持ちの整理はついた?」と言われた。全部お見通しだった。

関係ない先生に見透かされているのだから当然顧問が気づいていないはずもなかった。部活に行くと顧問に別室に呼び出され、大会の点数を確認すると共に、励まされた。
人生で一番悔しい経験は、私を強くさせた。本気で挑戦したから本気で悔しいと思えた。あの夏の経験は、今でも私の心に残っている。