自由研究の題材に選んだクモ。幼い私は彼女を「夏の女王」と呼んだ

小さくて黒い、きらりと光る目、長くて細い足、なんでも食べてしまいそうな鋭い牙、そんな夏の女王と過ごした夏を今でも懐かしく思い出す。
偶然テレビで見たクモが作り出した美しい幾何学模様の網に、私はとても惹かれ、自由研究のテーマとしてクモの巣を選んだ。
私がクモを見つけたのはキャンプ場だった。朝の澄んだ空気になじんで堂々と巣の真ん中に陣取っていた。裏返したビニール袋でそっと捕まえて家に連れて帰った。いくらクモの巣の美しさに惹かれていたといえ、あんなに大きかったクモを捕まえる勇気が出せたのは「夏だから」だったのかもしれない。
家では、段ボール箱に透明なアクリル板をつけてその中で飼育していた。一番大変だったのはエサやりだった。クモは巣をはって、エサが網に引っかかるのを待っている。だからエサをやるには毎日生きた虫を捕まえて、網に引っかかるようにしなくてはいけない。サランラップの芯の中に虫を入れ、クモのはった巣に向けて吹き矢のように吹くのだ。今思い出すとあんなに大変なことを、面倒くさがりな性格の私が毎日よくやっていたと思う。でもやっぱり私は私だった。母から、早く自由研究を終わらせてクモを逃がしてあげるように言われていたにも関わらず、それを面倒くさがった私は研究を先延ばしにしていた。
そんなある日、いつものようにエサを探そうと庭にでた。そして何の気なしに段ボールを覗くと、いないのだ。巣の中央を陣取って私のエサやりを待っているはずの、私の夏の女王が。慌てふためいた私が網から視線を外し段ボールの底を覗き込むと、小さく丸まったクモがいた。巣から落ちたのだ。八本の足を小さく縮めて、クモは動かなかった。焦って段ボールを揺らしたり、指ではじいたりしてもピクリとも動かない。クモは死んでいた。エサがかかるとあっという間に動いて、おしりから出した糸でぐるぐる巻きにしていたあのエネルギッシュなクモをいつもみていたからこそ、そんな姿は見るに堪えなかった。
父と母に伝えると、両目から涙があふれてきた。正直に言うとなぜ泣いているのか私にはよくわからなかった。私がクモを飼育していたのはたった一か月。毎日のエサやりも大変で、本当は庭に放して勝手にエサをとってくれればいいなあなんて思っていた時もある。なのになぜ泣いていたのだろう。自由研究が終わってなくて困ったから?それもあっただろうが、一番は過ごしたのがたった一か月でも愛着がわいていたからなのかもしれない。ごちゃごちゃした心であの時の私は泣きじゃくっていた。
大人になって、もっとたくさん夏を重ねても、理由もわからず混乱したまま泣いている日があるのかもしれない。そんな時は、堂々と立派だったあのクモを思い出して、涙の流れるままに放っておこうと思う。
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