今となっては信じられない、しかし事実である。
当時6歳、小学1年生の時、私は太平洋の小さな島に住んでいた。
コンビニもない、映画館もない、そんな島だ。豊かな自然だけがただただ広がる、不思議な南国だった。
本土とは比較にならないくらい、いろんな生き物がいた。そう例えば、虫、とか。

幼かった私は、当時虫取りにハマっていた。
今では、そばに来ただけで悲鳴をあげる。しかしその時は、嬉々として虫取り網を振り回し、セミやカマキリを捕まえては虫かごに閉じ込め可愛がっていた。

どうしてそこまで夢中になっていたのかというと、分からない。小さい子供特有の収集癖なのか、本土の人工的な自然で育った身には天然の生き物たちがよほど珍しかったのか。
虫からすれば、なんて迷惑な話だろう。大自然の中を悠々と飛び回っていたと思ったらいきなり白い網に捕まり、気づけば狭いカゴの中なのだから。

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捕まえたカマキリの1匹に、名前をつけた。
とりわけカマが大きく、元気に動いていたものだ。夏の象徴のような緑色の体も、よくよく見ればもしかしたら愛らしく見えるかもしれない顔も、お気に入りの要素だった。

最初のうちは、捕まえた虫たちに餌をあげ、「飼育」なるものをきちんと行っていた。
だがしかし、まだ6歳の子供である。
恐ろしいことに私は、捕まえてしばらく時間がすぎると、自分が捕まえた虫たちの存在を忘れたのだ。
次から次へと目まぐるしく移る興味関心の中で、狭い透明の箱の中に閉じ込めた小さな命の存在をあっさり忘却し、また次の関心ごとへとのめり込んでいったのである。

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どれくらい忘れていたのだろうか。
楽しく平和な日々をしばらく送っていた私はある日、玄関に置いてあった虫かごの存在をふと思い出した。
そして、なんの気無しにそれを覗き込んで、一気に顔を青ざめさせた。
虫かごの中では、捕まえ、名前までつけたカマキリが、なんとも弱々しい体で横たわっていたのだ。
しまった、放置したからだ……!

気づいて外に連れ出し、餌をあげようと試みた。だが、あんなに悠々とカマを振りかざしていた勇ましい姿はもうかけらもなかった。ただ餌を口元に近づけても、弱々しく蠢くのみ。

あ、死ぬんだ……。

なぜだろうか、その時、とんでもなく恐ろしく思った。
死んだ虫なんて、それまでだって大量に見たことがあったのに。

その時、6歳の私の手のひらの上で死にそうになっているカマキリはなぜか大変哀れに見えて、私はその命をこのような状態に追い込んでしまったことにひどく責任を感じた。

なぜだろうか、蚊だって蝿だって、それまでたくさん叩いてきたのに。
幼い私はなぜか、名前までつけたそのカマキリが死んでしまうことがとても悲しく、辛く、泣きながら公園の隅に埋葬した。

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大人になった今、虫1匹死ぬことに、もう私は何かを感じることはない。むしろカマキリは苦手だ。もしも自分の部屋に現れたらおそらく絶叫して逃げる。

でもなぜか今でも、思い出す。むさ苦しい暑さを肌が感じるたびに、弱々しく蠢くあの姿を思い出す。自分の小さな手のひらの上で小さな命が死んだあの夏を。
そうか、どんな命も死ぬのだと、生きているとは意外と普通のことではないのだと、あまりに当たり前すぎる事実に人生で初めて気づいたあの夏が、私に刻まれて薄れないのだ。