幼い頃から私はずっとふくよかな子だった。
運動も持病の喘息であまり動けず、食べることが大好きな子どもだった。

私の母は海外の人で流行に敏感でとてもおしゃれな人だった。

季節ごとに流行の服を身にまとい、私にもいつも「似合う服」を選んでくれた。ただ、それは「着られるサイズの中で」の話であって、「私が着たい服」ではなかった。
母は私に似合うようにと色や形を工夫してくれたけれど、当時私の憧れていたフリルやリボン、ウエストが絞られたデザインの服は、常に「濃い顔立ちの貴方には似合わない」「パツパツになる」と遠ざけられていた。

母親は私が体型に合わない服を着て周りに笑われるのを防いでくれようとしているのだと感じた。どこかで私もそれに納得し、着たい服を口に出すことさえしなくなっていた。

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私が成長するにつれ、母もまた少しずつ太っていった。気づけば私と同じように「着たい服」ではなく「着られる服」だけを選ぶようになっていて、それが当たり前のように思えていた。

コロナ禍の休校で家にいる事が多くなったり、運動をせずただ食べてばかりの生活になってしまったので私の体重は遂に大台の95キロになってしまった。
服を着ようとしてもボタンが閉まらず縫い目が破けたり……。
前までは着れたはずの服が着れなくなり、服を選びそれを着るという楽しみを見失い、いつしかTシャツとブカブカのズボンを履くだけになってしまった。
そこから何年か経ち、私が着れる服すら減っていき昔と違いオシャレをしない姿を見て、母はぽろりと涙をこぼした。

「若いのに、こんなんじゃダメだよ。着たい服、いっぱいあるでしょう?」

その言葉が胸に刺さった。

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ちょうどその頃、私は成人式の前撮りの話を耳にし、「絶対に綺麗な振袖を着たい」と決意した。その瞬間、私の中で何かが変わった。
3ヶ月で10キロ、6ヶ月で20キロ。食事を見直し、甘い誘惑と闘いながら体重を落としていった。1年近くかけて、私はゆっくりと「着たい服が似合う私」に近づいていった。

ある日、昔履いていたジーンズを試着してファスナーがすっと閉まった瞬間、母が泣いた。
前までファスナーが閉まらずヘアゴムで括って止めていたのだ。
母の涙を見て、初めて自分が「私のために頑張ったんだ」と実感した。

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次に私が目をつけたのは、ずっと憧れていたブランドで、腹出しのタイトなトップスだった。某うさぎが主人公の赤いドレスを着た奥さんのような、妖艶で女性らしいスタイルになり、ボディラインが出る服がどうしても着てみたかった。

試着室で何度も悩んだ末、私はその服を購入した。そしてそれを着るために、さらに美容に力を入れるようになった。スキンケアやメイクを研究し、自分がイエベだと思い込んでいたのが実は日焼けのせいだったこと。ブルベだったと知ったのもこの頃。

体型が変わって初めて、骨格診断という言葉にも興味を持ち、自己診断ではあるが結果、私は骨格ウェーブだった。それまで「着ても似合わない」と思っていた服たちは、実は「似合わせ方」を知らなかっただけだったと知った。

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新しく買った服を着て、家族で外出した日。
父は私の姿を見て少し驚いた表情を浮かべ、静かに言った。

「ママも、初めて会った頃はそんな服を着てたよ」

まさかの告白に思わず笑った。
父が苦手そうな服だと知りつつも、似合えば許されると信じていた服をまさか母親も着ていただなんて。
そして父親が周りの女の子達の色んな服に文句を言っていた理由も察した。私がふくよかな体型をしているから着れる服があまり無く、悔しくて言っていたのだろうと。

あの日、頑張って痩せようと決意してよかった。
着たい服を買ってよかった。
そしてそれを躊躇わず着てよかった。
母の涙、父の記憶、何よりも私自身の「自信」が、その服に詰まっていた。

次は、ついに振袖。
ずっと夢見ていたその一着を着て、中学の頃好きだった人を驚かせたいと、密かに思っている。