着たい服と似合う服、TPOに合わせて着せられる服。ただ、身を隠すためのものでしかないにも関わらず、服が周囲に与える情報はすごく多い。

だからこそ、目立たないように、注目されないように、そうやって日々、着るものを選んでいる。必要となる服ばかりがあふれたクローゼットにはいつもの服がちゃんとそろっている。

でも、それらの服が着たくない日がある。お仕事で疲れた日や友達と喧嘩した日、誰かのための私ではなくて、私のために私の着たい服を選びたい日がある。

◎          ◎

その日の服を選ぶことは、ずっとやってきたことだ。ブランドもののTシャツがステイタスだった小学生のころから、制服と部活のジャージで乗り越えた学生時代、突然ルールのなくなった大学生、社会人まで、毎日その日の服を選んできた。

何を着るかはいつだって重要な問題だった。制服と着方を定めた校則のおかげで着る服に悩むことがなかった学生時代ですら、「可愛く見える、似合う」そんな周囲からの評価のために限られた中で精一杯の努力と工夫をしていた。

それなのに、社会人になってからは次第に、着たい服よりもTPOを重視するようになった。自分が本当に着たい服よりも使いまわしがきいて職場で目立たないコスパのいい服を探すことに必死になっていたと思う。

色は白や紺、あまり凝ったデザインでもなくカジュアルすぎない物。SNSやファッション雑誌で特集された流行りを取り入れる興味もなく、最小限で長持ちしそうなコスパのいい服。それらの服で乗り越える毎日は確かにちゃんとお仕事をして、求められた成果を出せるちゃんとした私だった。

◎          ◎

でも、私はそんな私を変えたかったのかもしれない。

身長も体重も平均よりもあった私にはかわいい服は似合わないと分かっている。着てみたい服を何着試着してみてもしっくりくる服は見つからなかったし、もし気に入っても洗濯や手入れの心配ばかりに目が行ってしまう。

それでもそういうかわいい服を着てみたい思いはあるのだ。

その思いだけで、ふと吹っ切れて購入したおしゃれなワンピースは私の宝物になった。友達や会社の同期と遊びに行くときには、気恥ずかしくて着ていけないから一人でお出かけするとき専用だけど、袖を通すたびにわくわくして、いつかそのワンピースが似合うような人になれたらと思い、大切に着ている。

◎          ◎

毎日がコスパと誰かのための日々でいいのだろうか。

ちょっと高くても着てみたい服や、似合わなくてもチャレンジしたい服。それらに対する挑戦の中にも、日々を生きる楽しさがあるように思う。

着てみたい服をうまく着こなす工夫やアイデアを探すことは大変だけど、誰の目にも止まらないお仕事用の服を探すためにめくる雑誌よりわくわくする。お仕事にばかり追われてしまうと考えるのは最短ルートとかコスパとか決まった効率の良さを求めがちだけど、お仕事をしている時だけが生活ではないのだ。

お仕事の帰り道やご褒美に、自分の着たい服を探しに行って、試着して、どこに行こうか考える。それだって私の大切な時間だ。