「夏だからできた」と言えるかわからないが、夏になると蘇る感覚がある。山に登りたい。どの季節の山も美しいが、夏の勢いは空も緑も格別。

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登山は、いわゆる運動音痴の私ができる唯一の運動系の趣味だ。小さい頃から体を動かすのは嫌いでなかったが、タイムを計ると足が遅く、腕力が弱くボール投げは遠くに飛ばず、人と競うのも気後れする。体育の成績は5段階の2が多く、「私は運動が苦手」と思い込んでいた。

でも何かやりたかった。高校に入った時、今からできるスポーツは?と考えて山岳部に入った。最初は体力的にも精神的にもきつかったが、合宿で「うわー!」と叫びたくなる景色を見て、大自然の魅力にハマった。部員みんなでキャンプするのも楽しかった。その後、大学でもワンダーフォーゲル部に入り、北アルプス、南アルプス、とキャンプで山を歩いた。夏は我らの本番だった。

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社会人になって遠出する頻度は減り安全第一で歩くようになったが、その後も山歩きは続けている。経験値はあるのだが、一人で行って怪我でもすると「中高年の安全配慮に欠ける登山」になってしまうから、できる限り気をつけて。

2023年夏に訪れた鹿島槍ヶ岳は、「一人でできた!」という思いが強い山だ。コロナ禍になってから、感染を懸念して友人を誘いづらくなった。そうこうしているうちに疎遠にもなり、単独行が多くなった。

8月、仕事が忙しく休暇がうまく取れない折だったが、都会の暑さじっとしているに耐え兼ね、標高が高い場所に行きたくなった。「登山、初級、東京から1泊2日」と検索ワードを入れてインターネットで探すと、リストに「爺ヶ岳」と出た。写真ではどっしりした山で、長野県、黒部立山アルペンルートに近い。

勢いで夜行バスを予約し、その週末の早朝、登山口についた。緑の匂い。体は少し重い。ゆっくり、と自分に言い聞かせリズムを作って歩く。蒸し暑いが、風が通ると爽やかだ。そのうち、一人で歩く白髪の女性と会う。「おひとりですか」「そうなの、私、鹿島槍まで行きたいから今日来たの。お友達は爺ヶ岳までっていうから、明日合流することにして、私は早く出たの」ということ。やりたいことのためなら友達と別行動なんだ。聞いてみると70代。私も、年を取っても自分で考え自分で決める人でありたいと思った。彼女は一人で車を運転し、毎月山に登っているということだった。

鹿島槍ヶ岳は、爺ヶ岳の先、さらに2時間強歩いたところだ。「私も行く!」と決めて目的地を鹿島槍ヶ岳に変更した。昼までに爺が岳を通過すれば着く。地図ルートを確認。稜線に出たら、小屋でひと休み。

標高が高くなると、空気が薄くなって息切れする。爺が岳はのっペり低く見えるが意外ときつい。やっと着いた山頂は曇り。待っていると、雲がふわーっと切れ、山並が見えた。血が騒ぐ。それからいくつもアップダウンを越え、白髪の彼女と「今までどんな山に登りました?」と話して気を紛らわせ、鹿島槍ヶ岳冷池山荘に着いた。彼女は「私は早く休みますので」と部屋に入っていった。ありがとう。またどこかで。

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改めて宿泊予約した山荘には、グループ、単独、いろいろな人がいた。山小屋では、自炊したり、本を読んだり、誰かを見つけて話したり、それぞれがそれぞれの時間を楽しむ。夜は何となく集まった女性たちで、ビール片手に女子会が始まった。山を語る。人生を語る。「あの道は苦労した」「あそこは絶景」他愛もないことも、最高に楽しく感じられる。

普段はマラソンをしているという高級食材を背負ってきた中年女性2人組や、男性とグループを組んでガイドをつけて穂高岳の難関のジャンダルムを登ったという若手女性。みんな「好き」が基本。私は「最近ひとり行動になって」と奥武蔵ハイキングの話をする。ありたい自分でいられる空間がいい。山でも、旅でも、その時の出会いを楽しみ、相手のプライバシーに踏み込みすぎず、今を語り、他愛もないことで大笑いする。「また会おう」など後追いはしない。夜中に一人起きて小屋の外に出た。冷たい空気に首をすくめ、満点の星空、天の川を夏山の寒さに耐えられるだけ見つめた。

次の朝5時出発で、鹿島槍ヶ岳を目指す。強風と冷気に手がかじかむ。一歩ずつ進み山頂に到着。見えた青空。雲の流れが速い。立山連峰がくっきり見える。自分の歩いてきた道を振り返る爽快感。「また会ったね」昨日の女子会の仲間だ。目的地まで来たみんなの笑顔に混ざった。

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私の夏の思い出には、それぞれの山がきらめいている。この夏も「夏だからできた」山歩きを重ねたい。