わたしらしさとふさわしさの両立。考えすぎる私が選び抜いた一着とは

当方、INFJである。「MBTI」と検索すると一番上に出てくるURLの質問に答えていくタイプの簡易診断ではあるが。ここ数年は何度やってもINFJである。
いわゆる、”考えすぎ”と言われることが多いタイプなのではないか。自分でも「考えすぎだ」と思うのだが、考えることをやめる方が困難である。それから、考えすぎていることに気が付いたところで、考えてしまったのだからもう遅いのである。服装ひとつとってもそうだ。
INFJといえば「共感力が高い」と書かれていることが多いが、個人的には人に怯えてるだけだと思っている。すごく怖いから、よく見ていないと見落とすから、穴が空くほど見て、些細な変化を感じ取ってしまっている。本来なら、些細すぎて誰も気が付かないようなことに。
その些細な変化について、こうではないかああではないかと無限大に被害妄想を膨らませて、ありもしない未来を想像して、絶望している。
という自己評価である。
さて、服装の話に戻そう。
いわゆる”おでかけ”なら、シンプルに「好き」だけで構成すれば良いので楽だ。”仕事”ならマネキン買いすれば無難だし、持ち合わせの「きれいめ」をローテーションすれば良いのだから間違いようがない。もう困ったらスーツでいい。正解は確かに存在する。
最近で一番困ったのは、”結婚式の二次会”である。
学生時代に青春を共にした仲ではあったものの、”最も仲が良い”からはやや距離のあった友人からのお呼ばれであった。
こんなわたしのことを結婚式に招待してくれたことが本当に嬉しい気持ちと同じだけ、そもそもこんなわたしが参列して良いのだろうか、という迷いが当日まであり続けた。
それから、服装問題において、わたし自身が「オシャレするのが好き」「ときめいた服しか着たくない」というこだわりを持ってしまっているのもこの問題を増幅させている一因ではあると自覚している。
二次会だから、披露宴とはちょっと雰囲気変えたいな。でも、せっかく買ったドレスは活かしたいな。体温調節がしっかりできるものがいいな。予算もこれくらいに抑えたいな。でも惹かれないなら着たくないな。
希望を挙げれば挙げるほど本当にキリがなかった。結婚式なのだから最低限のマナーを抑えた服装をすべきという意見は最もである。そんなことは重々承知している。わたしは、どれも妥協したくはなかった。幾つもの通販サイトを何巡もして、検索ワードを何回も書き換えて、見比べて、諦めて、また探す日々だった。
「本当にこれで良いのか」で1週間は悩んだと思う。なんなら当日も、「大丈夫かな?」と常々心配だった。心配しすぎて、心配していない方が心配、みたいな極限状態だったようにも思う。
最終的には、着たいと思えた服を着た。わたしらしさとTPOは両立させたつもりだった。だから、堂々としているフリをした。内心はずっと怯えていた。
友人の反応は、わたしの被害妄想とは正反対だった。
「それいいね!」「セナと合ってる~」「セナちゃんって色気あるよね、とっても似合う~♡」
心から安堵した。そして、とても嬉しかった。
それから花嫁にも「来てくれて本当にありがとう。セナの門出の時もぜひお祝いさせてね」そう言ってもらえたことが何よりも嬉しかった。
今振り返っても本当に自分が面倒な人間だと思い知らされるばかりである。だが、考えて考えて、考え抜いた上で、場を損なわせることなく着たい服を着て友人を祝福できた自分を、わたしは少し誇らしく思いたい。
余談ではあるが、”色気がある”というのもINFJのあるあるの一つらしい。思案に沈む表情や、仕草、あるいはことばを発するまでの間や、ことばの選び方なんかが、そう思わせるのかもしれない。
そこのINFJのあなたも、そうだろうか?
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