青森のねぶた祭りに始まり、東北四大祭りを巡る、鮮やかな旅の記憶

暑がりの私が最も苦手な季節、それは夏だ。
学生時代、旅行三昧の日々を送っていた私だが、夏休みはクーラーの効いた室内でアルバイトに明け暮れるのが常だった。夏以外の旅費が落ち着く季節に、そのお金で旅に出るのが何よりの楽しみだったからだ。
そんな私が唯一、学生最後の夏に一週間だけ旅に出た。灼熱の太陽の下、東北四大祭りを巡ったあの旅の記憶は、今も私の心に鮮やかに焼き付いている。
きっかけは、大学4年生の春、高校時代からの友人と久しぶりに飲みに行った際に、いつか青森のねぶた祭りを観てみたいという話で盛り上がったことだった。
この時ちょうど就職活動真っ只中だった私たちは、久し振りの息抜きにテンションが上がり、同じく高校時代からの共通の友人にその場でLINE。すると偶然にもすぐ近くで食事をしていて、もうすぐ帰路につくところだったと言う。これはチャンス、もう合流するしかないということで、すぐに近くの店で落ち合った。話題はついさっきまで話していたねぶた祭りに戻り、再び3人で意気投合し、そのまま勢いでその年の夏にねぶた祭りを観に行こうと約束をした。
数ヶ月先の祭りの日程だったが、1人は折角青森まで行くのだから少し長く青森に滞在したいといい、もう1人はねぶた祭りの直後に予定があるようであまり長い日程は確保できないという。
そして私はというと、かねてからの念願だったねぶた祭り以外の東北の祭りも見に行きたいと意見した。
そこで私たちは、往路は一緒に青森まで行き、数日間ねぶた祭りを堪能、そして現地解散にすることに決めた。
日程を決め、宿を決め、レンタカーを予約。そして今度は私が1人でじっくりねぶた祭りが終わった後の予定を立てる番だ。
それにしても、前半は気のおけない友人たちとの久しぶりの旅行、そして後半は自由気ままに一人旅だなんてこんな贅沢な時間の使い方はない。
東北四大祭りというのはツアーなどで巡る観光客を想定してか、上手いこと少しずつ日程をずらして実施されている。始まりは1番北の青森から、そして1番南の仙台が最後までやっている。そこで私は王道のルートである、青森のねぶた祭→秋田の竿燈まつり→山形の花笠まつり→仙台の七夕まつり、とこれら全てが楽しめるようにそれぞれの都市に1-2泊しながら南下してくるプランを組んだ。
学生の一人旅なので、できるだけ安く抑えられるよう工夫した。移動は極力青春18きっぷの使える在来線、そして泊まるのはユースホステルやゲストハウスといった比較的お手頃な宿。
旅の準備は完璧だ。
8月上旬、青森の地に降り立った私たちは、到着早々、事前に手配していた跳人の衣装に着替え、まもなく日の入りを迎える太陽と交代するかのように始まるねぶた祭に参加。祭りに合わせて踊って跳ねて飛んでいる私たちは、まさか数時間前に東京から来たばかりだとは思えないほど祭りに馴染んでいた。
ねぶた山車も、写真や映像で見るのとは比べ物にならないほどの迫力。そんな山車に付いて、更に周りのお囃子に合わせて飛ぶ感覚は病みつきになりそうだった。
数日間のねぶた祭を楽しんだ私たちは予定通り現地で解散。ここからは後半戦である私の一人旅がスタートだ。
青森から秋田まで通る在来線には観光特急が運行しており、僅かな座席指定席券の課金で、走行中の電車でなまはげに出会える経験もした。
また、宿泊は街によっては中心地ではなく、祭りの開催場所からは電車で数駅離れたところを選ばざるを得ないこともあったが、流石東北四大祭りの開催中ということもあって、どの宿も非常に賑わっていた。私が選んだ宿はどこも宿泊者同士や宿のオーナーとの距離が近く、祭りが終わって宿に帰ってきた後も宿でわいわい感想戦を繰り広げた。
夏が苦手な私に、この旅は「夏だからこそ」という特別な意味を与えてくれた。社会人になった今も、夏休みをあえてずらして取るのは、あの夏の思い出が唯一無二の輝きを放っているからかもしれない。
友人との再会、一人旅の自由、そして熱狂的な祭りの高揚感。あの夏にしか体験できなかった、私の大切な宝物だ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。