してみたいのは山々だ。だが、24時間スマホから離れるということは難しい。

一番は緊急の連絡があった時に、万が一のことがあった時に、連絡に気付けないことで後悔したくないという想いが強いことだと思う。

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数年前、父が倒れた。その時は自宅だったが、朝方寝ている時間帯で声がしていることに気付くのに少し時間がかかった。幸いなことに一命は取り留めて、いまも元気に生活しているが、倒れてから病院に行くまでの時間の短さが重要な病気だったため、未だに気付けなかった時間分を後悔しているところがある。

直近では、さっきまで元気に話していた友人が、私と別れた後に急にめまいに襲われ、お手洗いに行ったら動けなくなったということがあった。近くにいる人で連絡できるのが私しかいない状況だったようで、ラインで連絡が来た。たまたまスマホを見ていたタイミングだったので、直ぐに駆けつけて事なきを得た。

やはりこういったことがあると、本来は連絡が取れる時間帯に相手と連絡が取れないと不安になってしまう。スマホ依存症とまでは言わないが、やはり定期的にスマホの通知を見てしまう癖は抜けない。

加えて、仕事のメールなども見られるようにしていることから、そういった面での緊急な連絡の対応が遅れることも気になってしまう。対応できなかったことで申し訳ない気分にもなるし、「肝心な時に対応できないダメなヤツ」というレッテルを貼られるかもしれない、という恐怖心もある。

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便利になって、いつでも連絡ができるようになったことで、逆にいつでも連絡ができるようにしていなくてはいけない、というしがらみが強くなったのかもしれない。

そのしがらみは知識を得るという点においても同様だ。
スマホには速報ニュース通知が来るようにしていたり、SNSは業務関連の情報が流れてくるアカウントを登録していたりするため、そういった通知が来ると思わず手が伸びてしまう。
いつでも知ることができるようになったことで、その情報は知っておかないといけないかもしれない、という焦燥感にかられる。

ただ、ほとんどがどうでもいい情報で、その情報に関連してこのことを知っておかなくては、その中に出てきたこの用語が分からないから調べねばと進めていくうちに、結局は暇つぶしレベルのネットサーフィンをして時間を費やしてしまっている自分に気付く。そういった時間は24時間是非スマホを置いてなくしてみたいと思うことはある。

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ということで、なかなかスマホを手放せないわけだが、時々図らずも離れられる時がある。
基本的に人といるときはあまりスマホを見ないように気を付けているので、そういう時もあるが、一番は朝急いでいて家にスマホを忘れた時だ。

電車に乗って一安心したところで鞄の中を探しても見当たらない。そんな時焦りはするが、家に戻ることもできない。結果的にはあきらめて、本を読んだり、景色を眺めたりして通勤する。

そうして、勤務時間が終わり、帰宅して急ぎスマホを見ても不急の内容しかなく、安心すると同時に、普段の時間の使い方のもったいなさを痛感する。読書の進みも早く、スマホを見ていなかった時間で見つけた発見などもあり、普段とは違う時間の過ごし方ができてささやかだが豊な時間を過ごせている自分にも気づく。

いかに何かあった時のリスクを考えすぎて時間を取られているかを自覚させられるのが短時間でもスマホから離れた時の学びだ。多少のリスクは恐れずに、スマホ以外から得られる貴重な機会を逃すリスクに目を向けてもいいのかもしれない。