「大丈夫でしょ」と油断して味わった教訓。日差しの怖さを知ったとき

私は学生時代、いくら気温が上昇し厳しい日差しが照りつける日に外を歩こうとも日傘や日焼け止めなどをロクに使用した事がありませんでした。
それは、少しくらい日焼けをしてもまだ大丈夫だろうという若さに過信していた点もあれば、単純に対策をする事を億劫に感じていたからだと思います。
しかしある程度年を取った今となっては流石にそういう訳にはいきません。
現に昔しっかり対策をしていなかった分のしわ寄せが今になって少しずつ出てきているため、出かける前には全身に日焼け止めを塗りたくり、外を歩く時は日傘にサングラス、時間が経てばこまめに塗り直すという風にまでケアを怠らないように成長しました。
しかし、中学校の時に私は後先を考えないがゆえの大失敗をしてしまった事があったのです。
それは、中学二年か三年の時の体育祭での出来事でした。それは例年五月の後半に開催されていたのですが、その時も私は周りで必死に焼けまいと紫外線ケアを行っている同級生を後目にどうせ大丈夫だろうと鷹を括り、特にこれといった対策をほとんどしていなかったのです。
まだ五月であったし、今と比べればあの時の気温はかなり低かったと思われますが、そうとはいえども晴天で太陽が照りつける日に一日中グラウンドで過ごさなければならないとなるとかなり話が違ってきます。
私は運動は苦手であったため、最低でも出場しなければならない競技にしか出ていませんでしたが、各四色のチームに分かれての対抗戦であったため、少しでも足を引っ張らぬよう自分なりに頑張って目の前の競技に向き合っていました。
そして、何とか閉会式までこなし、クタクタになりながら無事に一日を終えた訳ですが......。家に帰って鏡を見た途端、私は自分の顔を見て仰天してしまいました。
なんと顔が茹で上がった蟹のように真っ赤になっていたのです。日焼け対策をほとんどしていなかったし、多少は焼けるかなとは思っていましたがまさかここまでになるとは......。
学校は次の日お休みであったため、その点は安心でしたが問題はまた別にありました。
そう、なんと次の日学校は休みでも私が当時習っていたピアノ教室の発表会が控えていたのです。
私のこんがり焼けた姿を見て、母にはこっぴどく叱られました。
「あんた明日発表会があるって分かってたのに何でちゃんと日焼けしないようにしなかったのよ!」
「いや、だってまさかここまでとは思わなかったし......」
母の剣幕、そして醜く焼けた己の愚かな姿を見て私はようやく自分のしでかした事の重大さを悟ったのでした。
慌てて顔を冷水で冷やし、化粧水でパック保湿も試みましたが、とてもじゃないけれど今日一晩で何とかなる赤みではありません。
腕は丈が少し長めのワンピースを着れば誤魔化せますが、問題はやはり顔でした。
かといって今までずっと練習してきた発表会をこんな事で欠席するのは避けたかったし、何よりそれでは自分の気が済みませんでした。
応急処置では案の定朝になってもほとんど赤みは引いていなかったため、母の持っていた下地とファンデーションを顔に塗りたくるという苦肉の策を施し、若干不自然な状態ではありつつも赤みをほとんど消す事に成功、私はその状態で晴れて舞台に臨んだのでした。
幸い、他の参加者や先生からも特に顔の赤みについて触れられる事はなく、ホッとしたのですが、本番時も赤みの心配が頭を埋め、全集中を演奏に充てる事ができなかったため、練習の成果をあまり出し切る事ができなかったように思います。
そして、この事により夏の日差しによる日焼けの怖さ、そして後先をあまり考えていなかった己の愚かさを改めて実感したのでした。
年をとった今では、顔の赤みよりも日焼けによるその後のシミについて懸念をしてしまいますね。
私は今では周りの人からたんこさんって対策を徹底的にしてるよね!とよく言われるのですが、先程述べたような経験が過去にあるため、より日焼けに対する恐怖心があるのかもしれません。
日焼け対策に限った話ではなく、物事を考える際にはその場限りでない後先をしっかり見据えた行動を心がけなければなりませんね。
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