日焼けして真っ赤になったふくらはぎが、湯舟に浸かってひりひりと痛んだ時、何だか久しぶりの感覚だなと思いました。思えば、こんなに日に焼けたのは、子どもの時以来かもしれません。

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今年(2025年)の6月末、私は友人たちと糸島に行っていました。旅行……ではなく、田植えをするため。それも、機械を使わずに手作業で行うような田植えをするために、です。

「糸島で田植えをするけど、興味ある人いない?」というような友人のSNSの投稿を見たのは4月の終わりの頃のこと。「お米が高い」というニュースを見るのが日常茶飯事になった頃のことでした。

これまでの人生、さんざんお米は食べているのに、お米を育てたのは小学生の頃、一度きり。しかも、バケツの中で育てるという、あまりにも小さな規模でした。田植えだけでお米作りを分かった気になるのは違いますが、何も知らないよりはいい。そんな思いもあって、友人の誘いに乗りました。

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古くなった靴下、汚れてもいい服をタンスの奥から引っぱり出し、母から麦わら帽子を借りて、私は糸島に向かいました。糸島に行くのも、田んぼに行くのも、初めて。私は、高揚感と緊張感のまじった気持ちで、田植えの日の朝を迎えました。その日は天気がよかったので、日光を遮るもののない田んぼに着くと、肌がじりじりと焼かれるのを感じました。

外での作業は暑いだろうと思った私は、半袖で臨んだのですが、田植え経験者たちは長袖を着ていました。田んぼに着く前は、みんな何て暑そうな恰好をしているんだと思いましたが、田んぼに着いてからは、長袖が欲しくなりました。確かに長袖は暑そうですが、皮膚の焼かれる感覚に比べたらマシだろうと思ったのです。でも、腕に関しては日焼け止めを何度も塗り直し、ひどい日焼けを免れることができました。

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けれど、私は、足にあまり気を遣っていませんでした。日焼け止めの成分を田んぼに入れたくないと思っていたのもありますが、泥に浸かるから、そうひどく焼けはしないだろうと高を括っていたのです。

ところが。

作業中にズボンをたくしあげて肌が露出していた部分を、太陽は見逃しませんでした。泥がはねて、泥まみれになっていた左足は、その魔の手から逃れられました。でも、幸か不幸か、泥がはねずにきれいに露出されたままだった右足は、太陽光の餌食になったのです。

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それでも、おでこや背中を流れていく汗の感覚に気をとられていた私は、足が焼けているとは、ちっとも思っていませんでした。そう、ただひたすらに暑かったのです。水田なら涼しいでしょうと写真を見た友人には言われましたが、たとえ水の張っている田んぼでも、涼しいどころかお風呂のように熱くなっていました。上から降り注ぐ強い日差しと、太陽にあたためられた田んぼ。逃れようのない暑さの中での作業でした。

だから、足が日に焼けているかどうかなんて気にもとめませんでした。その結果……、右足は腫れているのかと思うくらい真っ赤に焼けてしまいました。触ってみると熱をもっているほどで、日焼けって、やけどみたいなものなのか、と今更ながらに当たり前のことに気づいたのでした。

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家に帰ってから1週間ほど経っても、ひりひりとした痛みは続きました。でもやがて、熱っぽさはなくなり、赤みもなくなりました。

今、私の足はまるで後から何かで塗ったかのように、きれいに茶色に焼けています。それを見るたび、暑かったあの日のことを、みんなで作業したあの時間を、田んぼから見えた山々と海とを、思い出すのです。

休みの日に、涼しい家の中にいることを選ぶこともできたのに、田植えに行ったこと。それは、端からみれば酔狂に思われるかもしれません。それでも、普段よく口にしているお米の育つ現場を少しでも知ることができたことを、たくさんの仲間たちと共に一緒に汗を流せたことを、私は嬉しく思います。そして、お米に限らず全ての食べ物への感謝の気持ちを、さらに強く持ち続けたいと思うのです。