森ガールのワンピースは、私にとって特別な「着たい服」だった

今はもう手放してしまったけれど、初めてインターネットで自分の意思とお小遣いで服を買った日。あれは確か、高校生の時だったと思う。
田舎に住んでいる私にとっては、身近な洋服屋といえば、しまむらやアベイルだった。今でこそ、しまむらはプチプラで、可愛いものの多いと、 再熱しているけれど、その頃は今ほどみんなが喜んでファッションを楽しむために選ぶお 店ではなかったように思う。
もう少し都会的な、おしゃれな服を買いたいと思えば、最寄り 駅から電車に乗り、30-40分程かかる街中に出ないといけなかった。まあ、それはそれで、楽しかったのだけど。
服自体は好きだったから、ある程度の年齢になると、親に買ってもらうにも、あれがいいこれがいいとリクエストしていた。
高校生になると、森ガールというジャンルが私の目に飛び込んできた。ふんわりと可愛らしくて、色はナチュラルな感じ。ロリータほどは、キラキラはしていなくて敷居もそこまで高くないような気がした。
森ガール特集の雑誌を見ては、いいなこんな服着てみたいと憧れた。街中に出ても、雑誌に載っているような洋服は見当たらなかった。憧れはますます膨れていくばかり。
携帯で検索すると、森ガール専門の通販サイトを見つけた。決して高くはない月額のお小遣いと、決して安くはない服。初めてのジャンルに心躍らせながら、次々と画面をスクロールして商品を見る。もし買うとしても、何着もは買えないから慎重に。あれもこれも気になるけれど、どうしよう。
最終的に決めたのは、ところどころにレースや刺繍があしらわれた薄いグリーンの襟付きワンピースだった。今思えば、インターネットで洋服を買ったのはこれが初めてだったと思う。本当に写真で見ていたものが届くのか、不安と期待でドキドキしながら、商品が届くのを待った。
商品が届いた。画面上で見ていたものと、一緒に合わせている服も違えば見せ方も違う、全く同じとはいかないけれど、おおよそ思い描いていたものが届き、広げて、鏡の前で合わせてみた。
今まで手にしたことのない可愛らしさの服を前に、少しのドキドキと、嬉しさと戸惑いと、何とも不思議な気分だった。
私は昔から、好きなものは残しておいて最後に食べるタイプ。モノや服でも、欲しくて、使いたくて買ったのに、結局本当に気に入ったものは、何だか使うのがもったいなくて、なかなかその一歩を踏み出せなかった。案の定そのワンピースも買ってからしばらくの間、クローゼットにしまったままだった。
初めてその服を着て外を歩いた日のことは、詳しく覚えていないけど、たしか近所で 遊ぶのに着るには、ハードルが高くて、電車で1人で街中に遊びに行く時に初めて着たような気がする。知り合いに会うかもしれないとドキドキ。私のことを知らない人がほとんどなのに、私の服よりも奇抜な服を着ている人だっているのに、なんだか見られている気がしてしまって恥ずかしかったような気がする。
アルバイトもしておらず、月々のお小遣い、なけなしのお金で買った唯一のワンピース。初めてのジャンルの服に合うような服もあまり持ち合わせていなかった。
森ガール全体的になのかわからないけれど、雑誌やインターネットで見るそれは、淡いナチュラルカラーの服に、刺繍やレースがあしらわれ、何枚か重ね着をするという着方が多かった。
今では、おしゃれとしての重ね着をするファッションも沢山あるし、違和感はないけど、それまで肌着の上にTシャツ、ワンピース、パンツ、スカートなど、重ね着とは無縁だった私には、少々ハードルが高かった。
結局、その服を着て出かけたのは、きっと片手で数えられるくらい。勿体無いと思われるかもしれない、というか勿体無いよね。
でも、その服を着なくなって、森ガールというジャンルへの憧れも薄れてきても、そのワンピースは、何年もなかなか手放せなかった。
10年以上経った今でも、大体の色や形やデザインも覚えているし、今の好きなジャンルではなけれど、思い出してみてもやっぱり可愛かったなと思う。
好きという思いと、実際に買ったそれらの服にどれだけ活躍の場が与えられるのか、は決して比例しない(私だけだろうか。)。
それでもやっぱり、今はもう手元にはないけれど、ずっと記憶に残っているワンピースは、 私にとって特別な「着たい服」だったのだと思う。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。