いつも「Open mind」でいたい。気付かせてくれたのは、田舎留学だった

私は高校1年生のとき、2週間のロサンゼルスでの語学留学をした。それが初めての海外で、とにかく面白かった。
空は日本と違った見え方をしていたし、お店の人はみんな優しかった。だけどホストファミリーがスペイン語しか話さない老夫婦で、スタッフに頼んだけど結局何も改善しなかった苦い経験もある。
そして、私の大学時代は海外が中心だった。
法学部の学生団体で長期休みのたびに1週間程度アジアの国に滞在し、ディスカッションをしたり国際法について学んだりしていた。
ラオスでは、時が止まるようなゆったりした時間を過ごした。スリランカでは、首相に会えることになったが1時間半の遅刻があった。タイでは、ディベートで優勝した。インドネシアでも、フィリピンでも、台湾でも、たくさんの印象的なことがあった。
旅行以外で10カ国を超える国で学んだり活動をしてきたりしたなかで、初めての国でもなく、やっと手にした赤いパスポートをとった直後の国でもなく、長期滞在した国でもなく、パスポートもいらない、田舎の、外国人は1人しかいない田舎留学プログラムが1番いい経験だったと私は思う。
当時の私は17歳、高校2年生。夏休み。偏差値は50くらいの高校。得意科目は英語だけ。ゆるいバトン部に所属していて、彼氏もいないし、バイトもしていないし、目立つタイプの高校生でもない。ただただ進路が不安なまま2年生になったところだった。
いつも通り、明るい時間に部活が終わり、明るい時間のうちにいつも通り大手の予備校の衛星校で動画の授業を受けに行った。
たまたま渡された配布物にその田舎留学プログラムはあった。
秋田の大学の留学生と一緒に地元のことを学びながら、古民家に滞在して、TEDトークを作ろうという内容だった。
親を説得して、晴れて田舎留学プログラムに参加することができた。
参加者の1人が初めてヲタ芸とやらを見せてくれた。今思うとめちゃめちゃ危ないのだが、花火を持って披露してくれた。
インドア派と彼は言っていたはずなのに、そんなことを思わせないほど、早すぎて、力強すぎて、息を飲む光景だった。
ネタで披露するよ、とのことだったので他の人は笑っていたが、私は全く笑えなかった。感動した。
他にも、新聞で高いタワーを作るゲームをして、勝てた。
そういうグループ対抗系のゲームで勝てたことはないのだが、高校2年生にして初めて勝つことができた。とっても嬉しかった。勝負事は好きじゃないと思ってきたけど、お互いに頭と体とチームワークをフルで使って、成功させて、工夫したことを発表して、讃えあって。同じことをみんなで一斉に気を引き締めてやる勝負事の面白さを初めて知った。
そして、初めて私は「本当に本当に頭がいい人」と知り合った。
高校2年生で頭がいいっていうと、成績がいいとか、学級委員をやっているとか、そんな認識をしていた。
その「本当に本当に頭がいい人」は、そのプログラムを実施したスクールの社長。
起業したばかりで、わたしたち参加者がはじめての生徒だったらしい。
彼は京都大学からの東京大学の大学院だったか、その逆かなんかを卒業していて、私は有名人に会った気分だった。
頭いい大学を卒業しているから勉強ができるんだな、と思っていたが、違った。
彼の会話から、知識量が尋常じゃないこと、話しながら相手の言葉の意図を汲めること、そしてそれをわかりやすい言葉にまとめてくれること、相手の感情まで読めること、相手が気づいていない良さや考えをわかりやすくフィードバックしていること。
当時高校生の私が言語化できたのは、文理どちらもオール5で、日本の偏差値高い大学どちらも出ているからスゴイ!程度だった。
ただ、文系だから文系しかできないというわけではないということを知った。
ラベリングすることは多いけど、そのラベルはたくさんあってもよく、人間としての可能性の広さと、自分は文系だから、背が低いからなどと縮こまる必要はないんだなということがよくわかった。
とにかく、彼は脳みそなのか思考回路なのか経験値なのか、何がどうなって言葉が紡がれているのかわからなかった。会話しながら息を飲んでばかりだった。
そんな、息を飲んでばかりの環境でのメインは、自分の思いや伝えたいことをプレゼンすること。
私がテーマにしたのは、小学5年生で転校した地でのカルチャーショックについて。
人生グラフを初めて書いた時、一番下がっていたのが転校した時だった。
なぜ下がったのかを深掘りして、TEDトークにまとめることにした。
しかも、スケッチブックに絵を描いて発表しなきゃいけない。
図工も美術も苦手だった私は絵を描きたくなかったが、NOと言えない、いや、言いたくない、挑戦したい環境だった。
いついかなる時の発表でも絶対に絵は他人に任せてきた私が、初めて、自分の思いを絵にも表現したいと思った場だった。
転校前の小学校は太平洋工業ベルトの地域で、転校生が多かった。だからみんな転校生にもオープンで楽しい子達ばかりだった。
転校した先は都心で幼稚園から小学校までずっと同じメンバーの学校で、転校生は少なかった。
私は、誰も知らない小学校に放り込まれても先生や誰かが助けてくれると思っていた。
だけど、誰も助けてくれなかった。1週間経っても大して友達ができなかったうえに、なぜか他クラスから悪口を言われていた。
だから人生グラフでは下がっていた。
私は「助けてくれなかったこととなぜかコソコソ陰口を言われたことが嫌だった」とだけ言ったのに、社長は私の話を丁寧に聞きながらするすると引き出してくれて、結局私が大切にしたいのは「Open mind」だというところに着地させてくれた。
これからの人生は、誰に対しても自分に対してもOpen mindで生活していきたい、というオチまで、一緒に連れていってくれた。
絵も、ハートや涙を描いてみたり、色使いを工夫して、かわいさを求めたものを完成させた。
同調圧力に屈していて、模範解答ばかりを求め続ける高校生活の中で、初めて自分の言葉で自分の意見を自分でプレゼンして誰かに聞いてもらえた。他にも、誰かの力を借りてプレゼンを完成させたこと、絵を披露したこと、ヲタ芸も新聞タワーも頭のいい人との出会いも印象的だ。
あの田舎留学プログラムで引き出されたOpen mindは今でも私の一番の個性になっている。
塾の配布物と、転校したことに改めて感謝したい。
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