初夏に入る頃。起床して窓をがらりと開けると、むんとした湿気を含んだ空気が部屋に入ってくる。ふと、自宅の前に広がる麦畑が目に入る。おお、もう麦を刈る季節になったのか、と、流れる季節の早さに驚かされていると、麦のおこぼれをもらおうと雀が楽しげに鳴きながら、麦をついばんでいて、思わず微笑みが浮かぶ。

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都内にある大学を卒業して二ヶ月、私は新社会人として地元で働いている。世間では、Uターンと呼ばれるのだろうか。
私は関東の片田舎で生まれ育ち、大学生活のために東京で暮らしていた。東京での暮らしは刺激に満ちていて楽しいものではあったけれど、新社会人という、環境の変化を伴う節目には、実家で暮らした方が、自分が安心できるのではないかと思ってUターンすることにした。

そんな私は、月に一度くらい、土日に東京に遊びに行っている。地元だと、遊びに行ける場所がスーパーやイオンといったショッピングセンターしかなく、若者には楽しめる場があまりないからだ。

それに対して、東京にいるとき、一人暮らしの、猫のような気ままさをふと思い出す。
例えば、地下鉄で乗り換えるとき。発車ベルが鳴ると、美術館巡りをしようと思って、清澄白河にある東京都現代美術館まで、思いつきで大江戸線で足を運んだなあと思い出す。定期券内であった新宿駅に行けば、この駅構内にあるパン屋さんのスコーンが美味しいんだよなあ、とか、今日はご褒美に買ってみよう、と勇気を出して、デパ地下のお惣菜を買った記憶が目に浮かぶ。

大好きな街である下北沢に行けば、通りのカフェをチェックして、行きたいお店リストに追加したり、平日、駅にあるガラガラの映画館で過ごしたりと、自分の趣味をすることができていなあと思う。

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ひとり暮らしの家に帰れば、チャンネル権は自分にある。だから、買ってきたお惣菜を食べながら、YouTubeで丁寧な生活を送っている方の動画を観て、自分もこうなりたいなあ、と思うこともしばしばだった。
そよそよと流れる小川のように自由だった、一人暮らしの生活。それはそれで心地よかったけれど、ふとした瞬間にさみしさが襲ってきたものだった。

アルバイトを一日頑張っても、お疲れ様、と迎え入れてくれる存在はいない。友人には話せないけれど、家族にはぽつりとこぼせる、もやもやとした話や、日常のささいな面白い話も、話せる相手がいない。

東京のネオンの夜景の一粒に、自分が数えられている気がする。自由と孤独はつきものだというけれど、本当にそうだなあ、と心から実感した私は、やっぱり実家暮らしの方が合っていると思い、地元に帰る決断をしたのだった。

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実家で暮らしていると、両親との距離がどうしても近くなる。その近さゆえに喧嘩することもあるけれど、仕事を終えた後、夕食時に今日あった出来事をゆっくり話すのは、私にとって至福のときだ。

一日仕事に真摯に向き合えているのも、きっと実家で暮らしている安心感ゆえなのだろう。両親には、とても感謝している。

また、実家暮らしだと、一人暮らしより貯金しやすいこともある。私はヨーロッパの古城を巡ったり、東南アジアの古い遺跡をいつか見てみたいと思っているので、そのときのために、少しずつ貯金をしていくつもりだ。

それに、学生のときは手が出せなかった、ちょっと高級な、おしゃれな洋服も買える。ちょっとした贅沢が、一人暮らしよりだいぶ許されるのではないだろうか。

そして、実家暮らしが窮屈に感じたら、また一人暮らしをすればいい。実家暮らしと一人暮らしについて、どちらが正解なんてないだろう、と思っている。ただ、二十三歳の今の私は実家暮らしを選んだ。両親と穏やかに過ごしながら、のんびり実家暮らしをしていきたいと思っているけれど、数年後はどうしてゆくか分からない。それも含めて、人生という旅路を彩る楽しみだろう。 

ふと、雀が気持ちよさそうに青空を泳いでいるのが見えた。ぽんぽんと軽く弾む気持ちで、私も人生を過ごしていきたいものだ。