海外大学の高校生向け夏季セミナーに参加する機会を得た。酸いも甘いも味わった留学経験は今日の糧になっている。

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幼少期から英会話を習っており、英語を特技としていた私にとって、その留学募集はまたとないチャンスだった。憧れの海外に行ける。しかも、英語という語学を学ぶのではなく、英語で専門的な科目に触れることができる。ここで自分の力を試したいと思った。

事前学習を終え、ついに初めての海外に到着。そこで待っていたのは想像していなかった光景だった。
中華系移民が多い地域だったこともあり、大半が中国人留学生。中国人同士で集い中国語で会話しており、入る隙がない。少数の英語ネイティブとみられる留学生は、スピーカーで爆音で洋楽を流し、マシンガントークを繰り広げている。日本でいう「陽キャ」の集団に怯え、こちらも入る隙がなかった。同じプログラムで来た日本人メンバーで、すみっこで縮こまるしかなかった。

そんな中でも、「せっかく留学に来たんだから、他の人とも交流を深めよう」と我々日本人も動き出した。同じ授業で被った人に「この後一緒に街に出ない?」と誘ってみる。中国人メンバーの集団に「一緒に自由行動してもいいかな?」と話しかけてみる。細々とではあったが人間関係が構築され、対人関係における忍耐強さというものをここで学び、身につけたのだった。

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別の衝撃が留学先の授業で待っていた。先生が問いを投げかけると我先に挙手し発言する生徒たち。自分の国ではこういう状況で、それについてこのように思います、と確固たる意見を持った生徒たち。このとき取っていた科目が政治経済や国際情勢に関するもので、高校では習っていないから授業で一から学べば良いものだとのんきに構えていた私にとって、他の生徒の様子は目を見張るものだった。まず専門用語が理解できない。授業が進む中パソコンで急いで和訳を検索し、語彙と語彙をつないでいくが、その間に授業が進んでいく。意欲的に参加する周りの生徒を見て、私もみんなみたいに理解できていたらもっと楽しいのに、と思った。

極めつけは、グループでの意見交換時にトルコ人のクラスメイトに「私の国ではこういった移民政策をしているよ。日本は移民を全然受け入れないよね」と言われたことだった。他国の情勢までを把握している彼女に対し、私は自国のことすら知らず、関心を抱いたこともなかった。

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この経験から得た学びは二つ。一つは、発言して初めてその場に参加したことになることだ。授業で発言ができなかった私は先生からしたら空気のような存在にすぎなかった。発言するからこそ、授業に関与し自他に学びを与えることができる。この学びを得た私は、その後の学生生活でも仕事でも、自分がなぜその場に参加しているのかを考え、自分の置かれた立場だからこそ出せる意見を発言し、場に積極的に関与するようにしている。

もう一つは、視野を広く持ち、当事者意識を持つことの大切さだ。遠くの世界の出来事だと思うと意見は生まれない。自分事として捉えて関心を向けることで知見を深めようと思えるようになり、自分の意見が生まれるのではないか。

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何はともあれ、数は少ないものの関係が続く友人ができ、日本とは違う現地の雰囲気を楽しみ、甘いスイーツやジャンキーな食べ物に魅了され、…留学生活は心もお腹も満たされて終了した。再び留学に行くのなら、他の国から来る仲間と深く語れるように、知を広げて深めよう、と心に決めている。