スマホはあくまで連絡手段。誰かと真剣に話をするものではない

瞳から入ってくる言葉たちに、心が傷つけられたり淋しくさせられたり、時には嫉妬してしまったりと、自分の心身が追いつかない。
感情を乱されるほどの相手が存在する事は貴重なのかもしれないけれど、自分の生きていく過程に、この人の存在は必要なのかと疑問を抱いた。
心身が疲れてしまうくらいの言葉に費やされた時間と電気代がもったいないと思ってしまった。
2011年3月11日、東日本大震災が発生したあの日、携帯電話が一切つながらなくなった。
あの瞬間、私は渋谷のカフェで、当時付き合っていた彼とくだらない話のメールのやりとりをしていて、その内容のない話からケンカになっていた。
でもあの地震で、メールの途中でつながらなくなってしまった。
同時にその日、これから会う約束をしていた中学校時代の先輩ともつながらず待ち合わせが出来ない。電話を見つめながら視線に入ってきたのは、携帯電話の電池の残量が少ないことに気がつく。
あのくだらないメールのやりとりに、電池がもったいなかったと後悔をしたことをいまだに思い出す。
その後当時、鎌倉に住んでいた私は計画停電も経験をし、電気のありがたさをこれでもかと感じられた。そのおかげであの日から、電気代がもったいないと思ってしまう言葉は、私からは発するのをやめた。
でも自分はそう思えても、相手からの言葉はそうはいかない。
心の準備なく、突然攻撃はやってくる。
今発しようとしている言葉は、相手に伝えていいものか、どう受け止められるか考えないまま、自分の感情だけが一方通行に走り出した言葉たち。令和のいま、言葉は安売りされてしまっているように見える。
安売りした言葉は、いずれ自分の身にかえってきて自分もダメにしてしまう。自分でまいた種なのだからしょうがない。
瞳から入ってくる言葉たちに、心が傷つけられたり淋しくさせられたり、時には嫉妬してしまったりと、自分の心身が追いつかない。
それなら少し、携帯電話を見るのをやめよう。
それでも1人で家にいると、やっぱり開いてしまう。
1人で家にいるから気になってしまう。それなら心と身体を切り替えればいい。
最近、月に1度は開催している愚痴る会。ひとまわり年下の親友と、休日の昼間から美味しいお酒を飲みながら語り合う。
気を使わないでいられる唯一の存在の彼女と、現状報告から仕事の話、恋愛の愚痴で盛り上がっていると、いつも自然と時間はあっという間に過ぎていて、携帯電話をもう6時間見ていない。
話をしている間の言葉は、目から入るものではなく、言葉は耳から入ってくる。
耳から入る言葉の返答も、文字を打つのではなく、自らの口から発せられる。
機械を通した言葉より暖かく感じられるのは、相手の顔を見てすぐ聞き返せたり、疑問に思ったことも、相手からの文字を待つのではなく、目の前ですぐに聞くことが出来るから。
心が満たされると、私には携帯電話は必要ないのかもしれない。
携帯電話はあくまで連絡手段であって、誰かと真剣に話をするものではない。
大事な相手と真剣に話す時、相手の顔を見て話をしたい。
その相手と待ち合わせするときの場所と時間は、前もって決めておく。
またあの日のように、つながらなくなって待ち合わせが出来なくなるかもしれないから。
携帯電話から離れると、自分が本当に必要としている相手がみえる。
必要のない人間関係と、自分をダメにさせる相手との連絡はもう卒業。
私はスマホに縛られることなく、自由にスマホと付き合っていく。
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