パン職人としてフランス留学へ。ろくに話せないままだったけれど

飛行機から見下ろした広大な小麦畑。徐々に近づいていく光景に、胸が高鳴ったのを覚えている。
フランスの空港に降り立つと、英語ではないアナウンスが響き、聞き慣れない会話で溢れていた。
パン職人として日本で10年以上働き続け、ようやく手に入れたフランス行きの切符。夢の舞台に立った実感が、石畳を踏みしめる足元から伝わってくる。
「本場のパンは作り方が違うのかな」
「現地ではどんなふうに食べられているんだろう」
すでに漂うパンの香りに、夢の扉が開いた気がした。
けれど、その扉のすぐ先にあったのは、思い描いていた留学生活とはかけ離れた、悔しい日々だった。
私の武器は「Bonjour」と簡単な自己紹介だけ。入学予定だったパン学校のオンライン面接で「もう少し話せるようになったほうがいい」とやんわり釘を刺されたほどの語学力だ。今思えばよく留学したと思う。
あのときの私は、無謀にもほどがあった。
当然、授業はついていくだけで精一杯。実習中に聞いた知らない単語を、慌ててカタカナでメモ。授業が終わってから調べてようやく理解する、そんな日々の繰り返しだった。
うまく質問できずに先生を困惑させたこともある。‟目は口ほどに物を言う”を、まさかフランスで実感するとは思わなかった。
「30歳をこえて、思ったことすら満足に言えないなんて…」
恥ずかしさと情けなさが混ざり合い、胸の奥でじわじわ広がった。
そんな日々が続くうちに、外出が怖くなっていった。
せっかくフランスに来たのに、殻に閉じこもったままの自分。窓の外から聞こえてくるフランス語は、同じ場所にいるはずなのにまるで別世界のように遠い。
「何やってるんだろう」
玄関の扉がとてつもなく重かった。
そんなとき、インターンシップ先のパン屋で働くスタッフから打ち上げに誘われた。
参加を決意したのは、このままでいいはずがないと、私自身が感じていたからだ。
もちろん最初は会話について行けなかった。話している内容は何となくわかるのに、言葉を探している間に話題はもう次へ進んでしまう。
絶え間なく降り注ぐ言葉のシャワーに、「やっぱりここでも同じか」と、作り笑顔の奥で静かに諦めが重なっていく。
すると、隣に座っていた女性スタッフが、私に話しかけてきた。
「どうして話さないの?」
販売スタッフの彼女とはあまり接点がない。驚きと戸惑いで一瞬言葉を失った私に、彼女はさらに続けた。
「あなたが何を考えているのか、言わないと伝わらないよ」
彼女の真っ直ぐな瞳からは本気が伝わってくる。
私は、喉の奥でつかえていた想いを、ゆっくり言葉にした。
単語をつなぎ合わせただけのつたない話。
だが、彼女は最後まで遮らずに聞いてくれた。そのやさしさが私の声に力を与えてくれる。
気付くと、他のスタッフも私の話に耳を傾けていた。
自分の声が、言葉が、やっと誰かに届いた気がした。
あの日を境に、私は少しずつ変わっていった。
間違ってもいい。発音が変でもいい。とにかく声にする。
すると、笑って聞いてくれる人が増え、間違いを正してくれる人まで現れた。
会話は「正しく話す場」ではない。「気持ちをやりとりする場」「私を知ってもらうための手段」だったのだ。
もし最初から言葉ができていたら、こんなにも自分の無力さに打ちのめされることもなかっただろう。今でも、立ちふさがるように感じた玄関扉の冷たさを思い出す。
けれど、あの悔しさを抱きながら扉を開けた先にこそ、大切な出会いと学びが待っていたのだと思う。
フランスで過ごした日々を経て、今日も私は自分の言葉を探し、伝え続けている。
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