大学生になった私は、いわゆる大学生っぽいことをしたいという気持ちでいっぱいだった。手始めにバイトをしたし、インターンシップにも行った。留学も大学生っぽいので憧れがあった。しかしどこの国で何を学びたいというものはなく、とにかくただの憧れだった。

◎          ◎

私が大学生の時、留学する人は珍しくなかった。そのため留学しても就活のアピールにはならない。だから無駄だ。という認識が主流だった。今思い返すと、留学したいというだけで、どこの国で何をというものはないというような、私のようなスタンスで留学する人が増えたのだろう。だからこそ留学しただけでは就活の役に立たないと言われるようになったのだと思う。そして留学する人は珍しくないと言いつつ、身近に留学した人はいなかった。地域性や学業内容のせいもあるかもしれないが。

◎          ◎

大学を卒業して20代も終わりそうな今となっては、憧れだけでよいので行ける内に行っておいた方が良かったなと思う。私が20代半ばのいちばん遊びたい盛りの頃、コロナも真っ盛りだった。遊びどころか、特に若者は外に出るな、口を開くなみたいなご時世だった。人生ゲームの一回休みがずっと続いて身動きが取れない、そんな感じだった。父親がコロナに罹ったら死にかねない持病を持っていたからという事情があり、より一層警戒しなければならなかったのもあるかもしれない。実際、復職の話がストップになったし、推しのバースデーライブも吹き飛んだ。それ以来、コロナを警戒した挙げ句、疎遠になった友人もいるし、コロナに対する価値観の違いで心が疎遠になった友人もいた。

時が経ち、コロナの扱いが変わり、世の中が動き始めた。私は馬鹿正直に一回休みを繰り返していたけれど、なんだかんだ皆、次のマスに進んでいた。結婚したり、出産したり。いつの間にと思うことが多く、真面目に一回休みを繰り返していた己が馬鹿だったのではないかと今になって思う。そして自分が我慢していた時期の年頃の女の子を見るとうらやましいと思ってしまう。もはやうらやましいなんてきれいな言葉ではない、ずるいとさえ思う。

◎          ◎

私が他にずるいと思ってしまうのは、留学している人。もう海外って行っていいの、という感覚から抜け出せない。政治家とかなんらかの専門家など、代替のない人なら分かるけど。あんなにダメダメ言っていたのに、諦めた人の行きたかった気持ちは戻ってこないのに、なんでこの人はいいの。そんな気持ちになってしまう。

今からでも遅くない、それはそうだ。でも物事には適齢期やタイミングがある。そして気持ちには賞味期限がある。今からじゃ、もう遅いんだ。

私より若い人はコロナで学校行事が吹っ飛んだだろう。みんな違ってみんな辛い。でも、私は災害で学校行事が吹っ飛び、自粛モードになっていた時期に学生だったことがある。それがあるので、コロナで学校行事がなくなっても、あの時もそうだったと言えてしまった。これは良くない。だからお前も我慢しろと、負の連鎖を助長するダメな先輩のようだ。昔、苦労したから今の世代には苦労させたくないと思えるようになりたいのに。

◎          ◎

海外は未経験だが、私は旅好きだ。しかし、コロナ禍の自粛モードで自粛していたら、旅行できなくなってしまった。今となっては海外はおろか、県境すら越えるのが難しくなっている。だからこそ自由に飛び回っている人に嫉妬するのだろう。自分の状況などはあきらめや納得がいきそうなものだが、外圧による禁止を挟んだからか、こじれてしまっている。大学生の時の留学も、コロナ禍の流行も周りの意見に流されている。流されている自分への怒りもあるのだろうか。

こうして私は自分より若い子をずるい、ずるい、いいなぁと思う妖怪になってしまった。手が付けられなくなるほどこじれる前に誰か退治してほしい。退治してほしいなど、そんな他力本願な心根だから妖怪化を促進しているのだろうか。妖怪にならないよう自分で自分にできることはなんだろうか。そうだ旅に出よう。情報収集のためにスマホを開くと、新種の株のコロナ流行が報じられているのであった。