デジタルデトックスに失敗。スマホは想像以上に日常に溶け込んでいた

24時間スマホを手放す、すなわちデジタルデトックスをする。面白そうだ。普段からスマホに依存している私には、やってみたいことであり、やらなければいけないことでもあると思った。
そこで、仕事が休み期間に入ったタイミングを使い、スマホを手放してみることにした。いつもスマホを手にしてはいるものの、カバンの中やソファーに置いたまま数時間触らないこともあるため、存在を忘れられれば簡単だろうと思っていた。一晩存在を放置していたことがあり、携帯を落としたときもなんとかなった。今回も生活に大きく支障はないと思った。
朝起きて、目覚ましを止めると、枕元にスマホを置いたまま朝のルーティンを始めた。顔を洗い、朝食の準備をして、外出着に着替える。スマホ以外はいつもどおりの生活で良いはずなので、テレビはつけた。朝のニュースと時間を確認する意味でいつもテレビはつけている。朝ご飯を食べ、身支度を済ませる。休日なので、急いで家を出ることはないが、録画したビデオを見て、洗濯や掃除を済ませて過ごした。案外家にいるだけでもやることはあり、時間は潰れる。過ぎた午前中の感覚は、まさに時間を溶かしているようだった。これなら余裕だと思っていた矢先、私の足は寝室へ向かっていた。何も考えずにスマホを手に取り、ソファーへ沈んだ。ロック画面を解除し、SNSを開き、タイムラインをスクロールしていた。
そう。結果は大失敗だった。
こればかりはいつも不思議だ。圧倒的にスマホを放置する時間があるのにもかかわらず、手に取れば、手のひらに吸い付いて離れない。家事をこなす以上に時間を溶かし、本来やろうと思ったことを平気で後手に回させてしまう。このときスマホを手に取ったのは、テレビを見ることに飽き、家事も一通り終わらせたので、別の方法で時間を潰そうとしたのだと思う。このあとに予定があったので、前もって準備をしても構わなかったはずだが、後手に回したらしい。SNSを一通り見終わっても、私はスマホを手放そうとはしなかった。次は天気、メールチェック、ゲームと次々にアプリを開いた。24時間スマホを触らないと決めたはずなのに、数時間で再びスマホを触る始末。触らずとも存在を忘れられていたときよりもスマホに触らないでいられた時間は短かった。それだけ、私の生活に馴染みすぎているということなのだろうか。
自分でスマホを触っていると気がついたのは、スマホのロック画面を解除していつも通りSNSのアイコンをタップしたときだった。
今回の失敗をもとに、私がスマホにどれだけ依存しているかを考えた。私がスマホを使うときは、時計、電話、メール、アラームなどの基本的な機能がほとんどだ。そこに、ゲーム、複数のSNS、よく行く店のクーポン情報、通販サイトなど緊急で確認しなくて良いアプリを多く開いている。
特にSNSは魔物だ。コンパクトにまとめられた投稿をササッと読んでいくと、自然と指がスクロールを始める。さらには、なめらかに次の投稿を読めるように目の動きと連動して絶妙な連携プレーを見せる。ストレスなく読めてしまい、間に動画の視聴も挟もうものなら、時間の経過など関係なくなる。気がつくと1時間同じSNSの動画たちを見漁っていることもあるくらいだ。ここまで時間を溶かすくらいなら、他にできることは絶対にあったはず。と後悔しながら、あともう少し、と画面を閉じようとしない私がいる。ここでまた30分時間が溶ける。
私には、24時間スマホから離れるという選択肢はハズレだった。数時間でリタイヤし、触れて後悔はするものの、また手を伸ばしてしまう。もはや中毒だ。すでに罹患しているため、これからも24時間スマホを手放すのは難しいかもしれない。デジタルデトックスに憧れはある。通知や世間の情報を遮断して、私自身が感じたことや直感で過ごす時間を体験はしてみたい。今度こそちゃんと時間と強い意識を持って挑戦してみよう。
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