友達との喧嘩がきっかけで、スマホを触らなかった日がある。

喧嘩のきっかけは些細なことだった。
友達とは一緒にライブに行く約束をしており、持ち物や集合時間の確認のためにメッセージのやり取りをしていた。だが、友達が突然怒り出してしまった。今でもその理由はわからないが、メッセージを送ったタイミングが悪かったのだろうと思っている。きっと忙しかったのだろうと。
ただ、当時は友達が怒り出した理由を推測する余裕もなかった。突然怒り出すなんて意味がわからなくて、私も腹が立って、喧嘩になった。
SNSのプロフィールに嫌味のようなことも書かれて、その友達を心底嫌悪した私は、その時、スマホを見るのをやめようと思った。
スマホを触っていると思い出して怒りが再燃する気がしたし、私も情緒不安定となっている自覚があったため、人との交流は避けたいと思ったからだ。

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スマホを触らないと決めたものの、時間はまだ午前中。普段なら動画を見たり、SNSを見たりするところだが、そんな気分にはなれず。ずっと昔に買った本を手に取った。
紙のそれは、読み始めると止まらなかった。時間を忘れて読み進めて、すぐに上巻は読み終わってしまった。本を読むとその世界に没入できるため、余計なことを考える時間が生まれなくて良い。休憩を挟んで、下巻を手に取り、また一気に読んだ。

長い時間本を読み続けた結果、肩が凝ってしまった。本は楽しいが、そこが欠点だなぁと思いつつ、ストレッチをした。
外出して身体を動かしたかったが、季節は冬で外は寒かったため、その後はテレビで映画を観ることにした。
配信サービスから人気のある映画を選ぶ。映画は元々好きだから日頃から観るのだが、スマホがある時はスマホ片手に見てしまうため、映画だけに集中して観るのは久しぶりだった。

なんだかんだ夜になり、スマホを見ようか迷ったが、映画を観ていたら寝てしまっていて、朝になっていた。起きて暫くして、さすがに誰かから連絡が来ていたら返信した方が良いか、とスマホを手に取った。
1日ぶりに開いたスマホはたくさん通知が来ていて、確認作業が大変だったことを覚えている。

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こうしてスマホを使わなかった時間を振り返ってみると、意外とスマホを使う日常と過ごし方が変わらないことに気づいた。普段からスマホがあっても本は読むし映画は観る。スマホがあれば電子書籍を読んでいるから紙の本を触ってはいないが、本を読むという行為自体は普段からしている。映画は先述したようにスマホ片手に観ることが日常的だが、スマホでしていることは、CMを見てポイントが貯められるサイトでCMを垂れ流してポイント集めをしているだけだ。スマホを見なければ映画に集中できるが、やはり映画を観ることは普段からしている。
スマホがあれば映画ではなく動画を観ることもあるけれど、動画を観る行為と映画を観る行為にそこまで違いがないと思っているため、やはりスマホがあっても私の過ごし方に変化はないと感じた。

スマホが必要不可欠と考えられている現代だが、案外、余暇活動にスマホは使わなくてもいいのではないかと私は思った。
いや、スマホはマルチツールとして本やテレビの代わりになるため、スマホが1つあればできることは数多くある。だが逆を言えば、今まで実物があって楽しんでいたものが電子としてスマホ内に入っているだけと言える。スマホがなくても過ごし方が変わらないのは、むしろスマホがその他の代替品であるから、とも考えられる。

スマホから離れるのは難しいと思っていたが、スマホが何かの代わり、と考えると意外とスマホ離れも難しくないかもしれないと思った。