友人のスマホに嫉妬した。これもある種のスマホ依存なのかも?

朝の通勤電車の中。スマホを片手にふと顔を上げ、周囲を見渡す。サラリーマンやOL、学生……皆一様に、無言で、無表情で、スマホ画面を凝視し、あるいは指を画面に滑らせ、己対スマホの世界に没入していた。
スマホを操作していること自体が悪いことではない。ただ私は、自分もこの集団の一部になっている事実に気づき、唖然とした。スマホが当たり前に在る世界で生きていると、この光景の異様さに気づけなくなる。まるでスマホ教という宗教に、いつの間にか入信していたようだ。
スマホ画面から目を離し、この光景を俯瞰的に見られるようになった瞬間。私の本能はここから抜け出したいと思い始めた。
自分の行動にルールを課すことが比較的好きな私は、スマホとの付き合い方にいくつかのルールを設けた。電車での移動時間と仕事の昼休憩では、紙書籍で読書をする。動画視聴は、家で一人でご飯を食べる時だけ。外食時は、本当に撮りたいと思った時だけご飯の写真を撮る。
些細なことだが塵も積もれば山となり、私の日常は少しずつ変化していく。スマホがないと何も出来ないと思い込んでいた日々は、スマホが無くても、日常の小さな出来事を楽しめる日々に変わっていった。
とはいえ私は、もともと同世代と比較するとSNSや動画視聴に没入しないタイプのため、私にとってスマホ断ちの時間はそれほど苦行ではないのだ。おそらく1日だけスマホから離れたとしても精神的に大きな支障はない。一方、他人に対して良からぬ感情を抱いてしまう自分に気づいた。
旅行のため、友人と2人で自然豊かな山奥の観光地を訪れた時のこと。現地に着き食事をしていると、友人のスマホが圏外になってしまった。私のスマホはまだ電波が繋がっていた。それであれば地図アプリも使えるし、旅行に支障はないだろうと思っていた。すると友人が言った。
「えぇー、ショック……。私、誰とも繋がれなくなっちゃった」
現代人であれば、ごく普通の発言であろう。冷静に考えたら私もそう思う。しかしこの時の私はこう思ってしまった。
「私が目の前にいるのだから、『誰とも』繋がれないことはないよね。私と過ごす時間より、スマホで誰かと繋がる時間の方が大事なのかな。ショック……」と。
私はどうやら友人のスマホに嫉妬してしまったようだ。自分でも馬鹿げていると思う。けれども私はこの時の友人に限らず、目の前にいる人が自分の前でスマホを操作し始めると、スマホに負けた気持ちになってしまう。
スマホじゃなくて、目の前にいる私と対話してほしい。スマホじゃなくて、私との時間を大事にしてほしい、と思ってしまう。これでは嫉妬深くて、ただの面倒くさい女だ。これもある種のスマホ依存なのかもしれない。
私はあの電車の集団の一員にはなりたくない。私はスマホと一定の距離を保ちながら、スマホ社会と上手く付き合えていると思い込み、スマホ画面の虜になっている集団を心のどこかで蔑んでいた。しかし現実は、スマホに嫉妬しながらも、誰よりもスマホのことを意識している自分がいた。
これからもスマホ社会ないしはIT社会はますます進化を遂げていくだろう。そんな時代に、いつまでもデジタル機器に嫉妬する自分ではいたくない。だからといって、私はAIではなく人間なので、感情が生まれてしまうのも仕方のないことだ。
スマホに嫉妬してしまう感情と、自分の中にある理性を行き来しながら、バランスよく現代社会で生きていくしかない。私はスマホに支配されるのではなく、人生に彩りを与えるためにスマホを扱いたい。
そして何より目の前にいる「人」との時間を大切にしながら、人間らしく生きていこうと心に決めた。
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