海外で働きたい。ドバイで叶えた長年の夢は1ヶ月で幕を閉じたけれど

私の学生時代からの長年の夢は『海外で働くこと』だった。その夢に憧れ続けて24歳の春、ついに叶えた。
海外で働いてみたいという夢は多分中学生の頃くらいから持っていたと思う。私は福島の田舎出身で、家も特に裕福ではなく、よくある普通の家庭だった。そのため海外旅行に行くなど夢のまた夢の話だった。テレビで見る海外の風景や、趣味の洋画などに影響され、次第にいつかは海外でバリバリ働き、誰も知り合いのいない国で、海外の友人とテラスでカフェをしたいなどと思うようになっていった。
高校を卒業後、私は都内のインターナショナルの観光系の専門学校へ進学した。周りは留学できている人ばかりで日本人がわずか10人ほどの学校だった。留学生は皆、日本語学校の卒業後に、日本で就職するために専門学校へ入学した子ばかりだった。母国の両親が留学費用を出してくれている子もいれば、中には、母国で働くよりも日本の方が稼ぎがいいからと、奥さんや子供を残して一人で日本へ来て、仕送りをしたいという人もいた。学生時代は就職活動や資格の勉強、友人との夜遊びに精一杯で、いつの間にか海外で働きたいという夢は薄れていた。
そのまま、日本で就職し4年の月日が経った頃、今のままでいいのだろうか、本当にやりたいことはこれなのかと突然不安に襲われた。そしてその勢いのまま、海外の求人サイトで見つけたドバイの日本料理屋の面接を受け、とんとん拍子に転職が決まった。上司に退職の意向を伝えた。今考えると普通の精神状態ではなかったと思う。おそらく躁状態だった。
3年同棲していた彼氏を日本に置いて一人で旅立った。ドバイでの暮らしはとても刺激的だった。少し車で走っただけで至る所に砂漠があるし、スパイスの香りがずっと漂っていて、タクシーの中で流れる音楽はTHE異国の音楽だった。私は英語がさっぱりできなかったけれど、会社のみんなはとても親切で私が聞き取りやすいようにゆっくり話してくれたり、ホームシックで悲しんでいたら、ショッピングに連れていってくれたりした。
ドバイはどこを見てもさすが経済的に潤っているな、と改めて思ってしまうほど、街全体がゴージャスだった。その分物価も高く、ラーメンを食べようとしたら、1杯2000円もした。
だが、ドバイの気候に体が適応できずに高熱と肺炎を患ってしまったのだ。私が渡航したのは3月で朝晩は10度前後、日中は暑い日だと40度近くまで気温が上がった。その温度差に加え、砂漠の砂が風に吹かれて街や住んでいる地域にもくるため、気づけば肺炎になっていた。自宅で療養していたが、異国で一人で寝込んでいる状況も相まって鬱気味になっていた。そして渡航して1ヶ月ほどで帰国することになったのだ。
長年の夢だった海外で働くことは叶えられたが、現実はそんなに甘くはなく、苦い思いをすることになってしまった。当時はとても病んだし、ドバイに行く‼︎と意気込んでいた手前、恥ずかしくてしばらく友人には会えなかった。
今となってはいい思い出となっているし、あの頃の私は常に最善の決断をしていたと自分を肯定してあげられるようになった。今は新しい夢はないけれど、毎日健康に好きなことをして生きていければいいかなと、肩の力を少し抜くことができてきた。
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