支配する空気がまるで違う祖母の家で感じた、リアルなつながりの大切さ

私は10年以上、一人暮らしだった。 誰にも邪魔されない自由と引き換えに、無意識な孤独が運ばれる。それを埋めるように、私はいつも小さな窓を求めていた。スマホという名の窓は、常に光を放ち、私を喧騒へと誘う。
朝、目覚めるとまずその窓を開ける。当時は会社支給のスマホと2台持ちだった。夜中に届いた通知を全て確認し、SNSのタイムラインをスクロールする。好きな芸能人たちの生活が、私の一日を始める合図だった。食事中も、テレビを見ているときも、お風呂に入るときも、スマホは私のそばにあった。まるで、もう一人の私だ。一人でいるとき、スマホを触らない時間はほとんどなかった。それは、孤独から逃れるための無意識な防衛本能だったのかもしれない。
そんな私が、まる一日スマホから完全に離れる経験をした。それは、祖父母の家に帰省したときだ。
祖父母の家では、玄関のドアを開けた瞬間から支配する空気が違う。玄関を開けると、ふわふわの飼い犬が私に飛びついて出迎えてくれる。祖母の作る料理の匂い、祖父が見る野球中継の音、掃除の行き届いた広い座敷の居間。築65年、木造の懐かしい空気。五感のすべてが現実に集中している。
中でも、一番大きな存在だったのは祖母だ。
祖母は誰かが話しかけると、いつも真剣に耳を傾けてくれた。自分のことはほとんど話さずいつも聞き役だった。いつも台所の食卓の真ん中へ座る私に、祖母が嬉しそうに聞いてくる。
「最近どうしてるの?」
そこから、私たちの会話は尽きなかった。仕事、彼氏、家族、友達、ありとあらゆるジャンルの話を祖母にしたが、丁寧に聞いてくれた。楽しそうに笑うたびに、私の心にも温かい光が灯るのを感じた。
会話は、いつしか私の過去にまで及んだ。 「今は音楽やっていないの?」 私は昔、音楽活動をしていたのだが志半ばで辞めてしまった経験がある。「うん、でも結局デビューできなかったし、あの時間は無駄だったと思うんだ」と、正直に答えた。
すると、祖母は優しい眼差しで私の目を見つめ、こう言った。 「無駄なことなんてないよ。あの時、あんたが一生懸命になった時間は、一生の宝物だよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心に深く刺さっていたトゲが、すっと抜けていくのを感じた。
気がつけば、時間はあっという間に過ぎていた。 ふと時計を見たとき私は驚いた。もう夕食の時間で、外はすっかり暗くなっていた。その間、私は一度もスマホを見ていなかった。遠い机に置きっぱなしのスマホは、まるで存在しないかのようだった。
その日、夜遅くまで祖母と話した。 ベッドに入ってからも、祖母の穏やかな声や、楽しそうな笑顔が頭から離れなかった。スマホを触らずに過ごした一日が、これほどまでに心が満たされるものだったとは、想像もしていなかった。
それから数年後、祖母は静かに旅立った。 私は今も、朝起きたらスマホを手に取る。やはり生活に欠かせないツールだ。しかしあのとき祖母と過ごした一日を思い出すたび、そっと画面を閉じる。今では使用時間をオーバーすると画面が閉じる設定もしている。
スマホは世界中の人とつながることができる。だが、あのとき祖母が私にくれたのは、画面越しのつながりではない。 言葉と声と、そして、互いを思いやる心で築かれた、リアルなつながりだった。
祖母はもういないけれど、今でも話したくなる。 心の中で私は静かに語りかける。 温かい声が心の奥から聞こえてくる気がする。最後のお別れをした直後、無意識にSNSで「おばあちゃん、ありがとう」と送っていた。それにはもう永遠に既読はつかないとわかっているのにも関わらず、指が動いていた。
あの24時間で私は学んだ。手のひらの小さな窓には映らない目の前の現実こそ、かけがえのない宝物なのだと。そして、たとえ姿が見えなくなっても、心の中にある思い出は決して消えない。
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