歯磨き中のYouTube。スマホとの向き合い方は息子にまで影響していた

「はみがきする。『おーおお』みる。かーちゃん、でんわは?」
3歳の息子は、保育園から帰って夕食を終えると、なんのためらいもなくそう言った。
『おーおお』とはYouTubeを指す彼の造語だ。なぜそんな造語が生まれたのかはわからないが。
彼は、歯磨きをするからその間にYouTubeを見たい。だから私のスマホを貸してほしい。そう要求してきたのだ。
いつものことでしょ?と言わんばかりの表情で。
その日は、このエッセイを寄稿するために決めていた、スマホに触らない1日。
朝起きて、スマホをパソコン机に併設したラックの一番下、広い引き出しの奥底に突っ込み、その存在を視界から消した。
夕食後まで、特段困ることもなかった。
しかし私の計画は、息子の発言により、一瞬にしてガラガラと崩れていく。
いろいろなことが頭を駆け巡ったけれど、私はスマホを取り出し、YouTubeアプリを起動させて、息子に手渡すことにした。
私の「24時間スマホから離れる体験」、失敗である。
けれどこの失敗は、子育てをする上での今後の課題が見えた、貴重な体験だとも思っている。
元々、子どもが公園などで遊ぶのを眺めているときや、ご飯を食べ終えたとき、特に用事もないのにスマホを触ってしまう自分が嫌だった。
開くのは、だいたいLINEかSNS。今必ず見なければならない内容であることは、ほぼない。
特に、子どもが目の前にいるのにスマホに目が行くのは、子どもとの時間に退屈していることの象徴のような気がして、罪悪感があった。
だから、この1日を過ごす少し前、思い立ってSNSやメールのアプリをスマホから消した。
見るとしたらパソコンのみ。
LINEの通知もオフ。
実際にやってみると、LINEやメール、SNSの通知が来ないから、気がついたらスマホに触る癖も無くなった。余白の時間ができて、子どもとの遊びにも集中できる。思いのほか心地よい。
だから私にとって「24時間スマホから離れる」のは至って簡単なことだと思っていた。
しかし、重大なことが頭から抜けていた。
息子は、歯磨きをするときに私のスマホでYouTubeを見るのが日課なのだ。
歯磨きという彼の中での「我慢の時間」は、スマホがあることで、YouTubeで大好きなプラレールの動画を見られる「とっておきの時間」に代わる。
歯磨き中のYouTubeの視聴を許してから、彼の歯磨きのモチベーションが上がった。
親としてもこれまで喚いて嫌がられていた歯磨きのストレスが無くなった。
もし私が、「今日はYouTubeなしで歯磨きしよう」などと言ったら。
見たい見たいと泣き叫び、歯磨きを断固拒否される未来しか見えない。
結局、私はスマホを触る道を選んだ。
そもそもこの「歯磨きルール」は私が最初に決めたもの。私がスマホから離れた気になったとて、こんな形でスマホに頼っているのだ。悔しいけれど「スマホから離れるのは簡単では?」なんて認識は、甘かったようだ。
私は今回、自分のスマホとの向き合い方が、息子にも影響していることを痛感した。
「自分が楽に歯磨きをしたい」という「自分のため」が、息子を介してスマホなしに1日を終えられない原因を作った。
しかし、歯磨きをスムーズにできるというスマホの恩恵は、大きい。
私は、スマホと距離を取るのが心地よかった。一方で、その利便性に一切頼らない生活は、今や考えられないとわかった。ならば、せめて使う用途を決めて、スマホと心地よく共存したい。スマホへの感謝の気持ちも忘れずに。
これから親としても、そんな風にスマホと向き合う姿を息子に見せていきたい。間違いなく、大人のスマホとの向き合い方を、子どもは見ている。息子とスマホの距離感を考える時は、我が身を振り返る時なのだ。目的を持ってスマホを使っているか。溢れる情報に、自分が不安になっていないか。スマホは便利だけれど、依存性も高い諸刃の剣であることを、折に触れて教えていこうと思っている。
「24時間スマホから離れる体験」は、結果的に、今後の子育てで避けては通れない課題を考える時間になった。
失敗はしたけれど、この失敗を意味のあるものにしていきたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。