今や私の生活になくてはならないものになったスマホ。

私の相棒になって早15年。
りんごマークのスマホを開発してくれたジョブズには、一生足を向けて寝られないな。
嬉しい時も、悲しい時も、ニヤニヤしながら大好きな彼と連絡をしていた恋の始まりも、「今回はご縁がなく…」とお祈りメールをもらった日も、ずっとそばにいてくれた(?)スマホ。

さあ、私はそんな「相棒」と24時間決別できるだろうか。

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まずは結論から。
私には24時間スマホと決別することはできない
でもそんな「相棒」がいない世界を垣間見た私の話を、少し覗いてみてくれたら嬉しい。

まず、スマホが相棒の私の1日のルーティーンを紹介する

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朝の目覚めは、もちろんスマホのアラーム。
焦りながらする朝の準備の時間確認もスマホ。
「Hey, Siri! 今日の天気は?」と洗面台から叫ぶ私に「 今日の天気は晴れ、最高気温は38度です。熱中症には気をつけてください」優しくアドバイスをくれるのもスマホ。

仕事が始まってからも、スケジュール確認や社内の人との連絡手段ももちろんスマホで。
昼休みには週末の友人とのディナー予約をして、予約取れたよ〜♡と友人に連絡。
夕方には「お客様先から直帰します!」と上司に連絡して、電車に乗り込む。(あ、電車の乗車券もスマホでタッチだ)

定時で帰宅してからは、今期のドラマを流し見しながら夕食の準備とお風呂に入る。
夫と囲む夕食の食卓にも、2人で楽しみにしているドラマがタブレットで流れている。(ここ2年の間に私はついにテレビを手放した)

寝るまでのリラックスタイムには、スマホでYouTubeを流しながら、最近ハマっている編み物をする。
寝る前には、翌日の朝のためにアラームをセットしておやすみなさい。

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見ての通り、私の生活にはなくてはならない存在になっている現実を目の当たりにして、自分よりも多くの人に必要とされる存在のスマホに、少しだけ、ほんの少しだけ嫉妬したり。

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そんな私と正反対の生活をしていた、私の大好きなじいちゃん。
昨年85歳で亡くなるまで、1ミリもスマホを手に取らなかった。いや、取ることができなかったという言葉のほうが近かったのかも知れない。
生まれつき視力が無かった、いわゆる「視覚障害者」だったじいちゃん。
そんなじいちゃんの世界には、私が取りこぼしてしまったたくさんの音で彩られていた。

朝起きた時のすずめの鳴き声、風の音、近所に住む子どもの笑い声、大好きなスポーツ観戦と音楽鑑賞。声のトーンでばあちゃんの体調までわかっていた。
声が似ていると言われる私と妹の電話越しの声を、いつも間違えずに聞き分けてくれていたのはじいちゃんだけだった。

私が取りこぼしたたくさんの音たち。
昨日行ったカフェの静寂の中に響いたコーヒー豆の音、お湯が沸いた音、コーヒーを抽出していた音。私はどれも鮮明に覚えていない。
覚えているのは、私のスマホのカメラロールに残った写真とほろ苦いコーヒーの味だけ。

ふとした時にじいちゃんを思い出す。
「周りを見渡してみて」と言ってくれているのかな。
大事なことはスマホの中だけじゃ無くて、きっと自分の周りに溢れているということ。
色のない世界で生きたじいちゃんが教えてくれた、今を目に焼き付ける幸せを忘れないこと。
ずっとじゃなくていい、ふとした時にだけでもいいから。

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今や誰の生活にもなくてはならなくなってしまったスマホ。
24時間離れなくてもいいと思う。
嬉しいことも悲しいことも、自分の人生の欠かせない一部をスマホは作ってくれると思うから。

それでもスマホの通知を忘れるくらい、のめり込める時間がある幸せは忘れずにいたいとは思う。
そこにしかない景色を、大切な人の笑顔を目に焼き付けるように、思い出せるように。

画面越しではない私の瞳で。