存在とは、通知の総和ではないのだろうか。

そんな考えが頭をよぎったのは、ある朝、目覚ましより先に通知音に起こされたときのことだった。その小さな箱が私を呼び、私は反射的に応じる。いや、むしろ応じたことによって、ようやく今日という一日の輪郭を手に入れたのだ。もし通知がなければ、私はまだ「起きた人間」にすらなれていなかっただろう。

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では、通知がゼロのとき、私は存在をやめてしまうのだろうか。

そう思った瞬間、私は反射的にスマートフォンをつかんでいた。画面の光が墓碑銘のように浮かび上がる。それを見て、私は迷うことなく電源を落とし、裏返して枕元に伏せた。

最初の数時間は、身体そのものが電波を探しているようだった。指先は何度も机の表面をなぞり、耳の奥では虚ろな通知音が響き、脳の奥では誰が書いたとも知れない文字列が勝手にスクロールされていく。私は座っているだけなのに、体内の見えない配線が過熱し、煙を吐き出すような感覚に襲われた。もしかすると、私が失ったのは文明の産物ではなく、むしろどこかから私を操っていた巨大な端末そのものだったのかもしれないと思った。

やがて、周囲の音が膨張し始めた。時計の秒針は機関銃のように響き、冷蔵庫の低い唸りは遠くの発電所の音に変わった。部屋の空気が粘度を増し、目の前の壁がわずかに膨らんだように見えた。通知がないという事実は、存在の座標軸を一気に失わせるのだと思った。

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居ても立ってもいられず街へ出ると、景色は異様に生々しく立ち現れた。看板の色は毒々しく、電線はクモの巣のように頭上を覆っていた。人々の顔はどれも奇妙に未完成で、画素が荒かった。

ふと私は想像した。その顔から、鼻だけが消え、唇だけが消え、目だけが消え、残った肌色すら赤い通知バッジに置き換わる様子を。宙に浮かぶ丸の中に、ゴシック体の数字だけが取り残される様子を。主婦には「3」、サラリーマンには「27」、OLには「104」。私はその数字を見つめることでしか、彼らを人間として確認できない。逆に言えば彼らは──そして私も──数字を失った瞬間、ただの歩く影に堕ちてしまうのだろう。

黄昏時、私は自らの存在を外部に委ねてきたことを思い知らされ、不安は肥大化し続けた。それで、手の甲を爪で引っかき、赤い線を三本刻もうとした。それは「3」という通知数を模倣するための行為だった。皮膚の上でようやく、私はまた人間として再登録されるような気がしたのだ。

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ふと視線を上げると、ガラス窓に見知らぬ女が映っていた。眼は乾き、唇は渇き、身体はかすかに震えている。彼女は私に向かって笑ったように見えたが、それはSNSにアップロードしてきたどの写真よりも不気味で、私は直視できず灯りを落とした。暗闇の中で、私はようやく自分の輪郭を取り戻しつつあるのを感じた。

深夜、私は目を閉じ、巨大なサーバールームを彷徨った。ケーブルは脈打ち、壁には言葉と画像が慌ただしく流れていく。家族、同僚、友人、メルマガ、入荷のお知らせ、規約改定、お世話になっております、笑顔、青空、新着コメント、おすすめ記事──無限に繰り返されるその洪水の中を歩き、一枚の扉を開けると、そこにはただ真っ白な空間が広がっていた。声も光も欲望もなく、ただ沈黙だけがあった。

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こうして存在はむき出しになり、暴力的なまでに濃密に立ち現れるのだ。誰からも呼ばれず、誰とも繋がらずとも、この真空の中で、私はひとつの膨張した沈黙として立ち尽くすのだ……。

翌朝、再び通知音が鳴って目が覚めた。画面を覗くと、それは広告のプッシュ通知だった。「LINE友だち限定 20%OFF」。

私は小さく笑った。私がここに存在するのは、数字に呼ばれるからではない。通知が剥がれ落ちた残骸として、裸のまま残っているからなのだ。