「劣等感」から生まれた観察眼。ドンクサい私、ありがとう

子どもの頃から何かにつけてコンプレックス…劣等感の塊だった私。具体的に何にコンプレックスを抱くというよりは自分自身の「存在」自体がコンプレックスだったし、今も若干その感覚は抜けきれていない。
幼稚園から始まった集団生活。その中では周りの人を見てばかり、比べてばかりだった。
子どもの頃の私はいわゆる「ドンクサイい子」だった。(今もそうかもしれないが…)
育った時代も悪かったのかもしれない。親や親戚、学校の先生も私の「劣等ポイント」を煽るようなことを言ってくる教育。となると必然、他人と自分を比べざるを得ない「絶対評価」でなく「相対評価」。そんな環境から根付いてしまった劣等感が私の心の根底に今も残っている。
「人より○○ができない」「○○が不得意な子」私自身は子どもの頃はそんな風に言われるのがむしろ当たり前で良いところを指摘してもらえたことはあまり記憶にない。自分は「何もできない子」なのだろうか…そうか、「私はできない子、少しでも周りに合わせるように遅れないように頑張らなきゃ」と全く表情に出さずに過ごしていた。
今思えばけっこうなことを言われても無表情で受け止めてる自分を想像すると不気味に思う。
義務教育を終えた少し後になってから、全体的な学校での評価方針は「相対評価」ではなくなったことを知った。むしろ学校の先生が「○○ができないね」とか変な言い方をすれば、保護者などから訴えられるやもしれぬ時代。そんな新しい変化を知った時、私は「私はできない子」だと普通に思い続けたことに涙が流れてきた。
私自身が過ごしたその「相対評価」の環境の中で、そんな「ドンクサさ」を少しでもカバーするため、ただ周りの人と自分を比べて見るだけでなく、周りの環境への観察眼は鋭くなった。自分が同じようにできないとしても、どういう人が評価されているのか、また自分と同様に普通にできるように密かに努力している人も自然と読み取ることができた。必要そうならば励ます言葉をかけることもできるようになっていた。社会に出た今も同じような風景が見えて、たまに他人事でも共感のあまり、つらく感じることもある。
その「観察眼からの言動」のおかげなのかどうかは分からないが、小学校の卒業文集に「他人から見た私」のような欄に「人に優しい」と書かれていた。
過去も今現在も私自身はそんな「人に優しい」人間だとは思っていない。もしも同じ立場だったら、「かけてほしい言葉をかけている」「してほしいことをしている」というだけで、特別なことをしているつもりはない。ただ周りに近づけるように生き延びる手段から派生したというだけのこと。
でももし私のような「劣等感」を抱かずに過ごしてきた人に見えない景色が見えていて、人から「優しい」と思われる何かができているとしたら、「劣等感」から生まれた観察眼は、むしろ「劣等」ではなく「優等」なアイテム…「アドバンテージ」になったのかもしれない。そう考えるとすごく救われる自分がいる。「ドンクサい私」ありがとうね。
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