スマホは現代の私達に欠かせないもの。朝起きてまず連絡チェックし、通勤しながら音楽をかけ適当にいじって、仕事の合間には疑問を検索し、メモする。寝る前には無限に流れてくるショート動画を眺め、ネットウィンドウショッピング。そんな日々の中で24時間スマホから離れるなんて私には到底無理。だからこのテーマでエッセイを応募するのは正直諦めていた。

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けれどある日、「24時間スマホから離れてみた体験」が突然始まった。寝坊して慌てて家を出たために、スマホを忘れて出勤してしまったのだ。朝からなんだか気持ちが高していておかしいと思っていた。なんだかそわそわして、手元を探してスマホがないと気づいた時には血の気が引いた。もう引き返そうにも時間がない。仕方ないからそのまま出勤し、気持ちを切り替え、いい機会だと思い24時間スマホから離れてみることを決めた。

こうして強制的に私のスマホフリーの生活が始まった。いざ初めてみると、何度もカバンの中にスマホを探して手を伸ばし、「あぁ、今日は家にスマホを忘れたんだった。24時間スマホから離れるんだった」と思い直した。普段自分がいかにスマホに依存しているのかを思い知らされた。

通勤だけではなく、仕事中も不便さは容赦なく押し寄せてきた。わからないことはすぐ検索、大切なことはメモ、スケジュールはアプリに記録、ということを全てスマホで行なっている私にとっては、ちょっとスマホを開きたいと思った瞬間にそれができないのは、不便以外の何物でもなかった。重たいパソコンやタブレットを取り出して、それをするのは手間だった。そしてスマホの代わりにこういったことをすると、このテーマを実践するにあたりパソコンやタブレットを触ることはセーフなのかという疑問も生まれたが、それをしなければ仕事、ひいては生活にならない。やはりスマホから離れるといっても必要な場面はあると感じたのだった。

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家に帰ると、いつもならソファに沈み込んでスマホを開くところだがそれはできない。手持ち無沙汰になるかと思いきや、明日のことに思いを馳せて準備をしたり軽い調べ物をしたりと意外にも充実して過ごした。「時間がない」と思っていたのは錯覚で、自分がスマホで少しずつ時間を擦り減らしていたのだ。

とはいえ、人間の習慣はそう簡単には変わらない。ソファでうたた寝からぼーっと目覚めたとき私は無意識にスマホに手を伸ばしホーム画面を開いていた。しばらく画面を眺めたあと、ハッとして画面を閉じそっとソファの端に置いた。あまりに自然な動作に自分でも驚いた。まるで身体に刷り込まれているみたいだった。いや、刷り込まれていた。スマホは生活の必需品と化しているが、自分がここまでスマホ依存になっているとは思っておらず驚いた。

身支度をして就寝する際も、「スマホは触れないや」、朝起きても、「ダメダメ。出勤するまでは24時間じゃないから」と何度もスマホを開きたい衝動に駆られたが、無事、スマホからちゃんと離れて24時間を終えた。

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24時間が終わった時、私は正直ホッとした。やっぱりスマホは手放せない、それが本音だった。しかし、同時に気づいたのは何も残らないくだらない動画で時間を食いつぶされていた自分や、少しスマホを手放すだけで時間ができる、というありきたりなことばかりではない。あまりにもスマホ依存になっていたという私自身だ。スマホは確かに便利だが、賢く使わなくてはならない。時間をすり減らす道具にしてはならない。忘れ物から始まった挑戦は、少ししんどく、でも確かに自分と向き合う時間になった。