見なくてもいいものまで見てしまう。今日はスマホをおやすみしよう

前まではなくても大丈夫だった。
でも、当たり前になってしまうと、もう離れられないんだな。
私はスマホ片手にそんなことを考えていた。
私は、大学1年生までガラケー(ガラパゴス携帯)を使っていた。そのためスマホがない生活が当たり前。LINEやTwitterをすることもなく、たまに届くメールに返信するくらいだった。周りがSNSでつながっているため、時々ガラケーの私は孤立することがあった。でも、今の状態に満足していた。たくさんの人と一緒にいることよりも、一人でいる方が楽だと感じていたため、スマホがなくても、困ることがそれほどなかったからだ。
スマホがないことで初めて困ったのは、介護実習の時だった。実習の連絡はLINEで行われたが、ガラケーでも登録はできた。ただ、スマホの方が使いやすいことはわかっていた。
これからも、大学の連絡等で、不便な思いをするかもしれないと、スマホの購入に至った。
スマホは便利だった。画面が大きくはっきり見えるし、調べたいことはすぐに検索することができた。連絡もLINEで簡単にでき、天気予報や電車の運行状況だって確認ができた。
私はこんなにも便利なものを今まで使っていなかったのか!と気付かされ、スマホ購入後は、ほとんどスマホを手放すことはなかった。
そして、スマホを購入してからやり取りが増えたのが、当時付き合っていた彼氏だった。ガラケーの時は、1日に1、2通のやりとりだったが、スマホ購入後は1日何十通とやり取りをした。 楽しかった。スタンプを送り合ったり、通話したり、簡単に遠くの人とつながることができ、便利な世の中になったなぁとしみじみと感じた。
しかし、そこから私は沼に落ちていった。 ガラケーを使っていた頃は、メールの返信が遅くても気にならなかった。むしろ、メールが来るまでの時間をまだかまだかとワクワクしながら待ちわびていた。
しかし、LINEを使うようになったら、返事が来ないことにそわそわした。なんで既読にならないんだろう。どうして既読になったのに返事をくれないんだろう。大したことがないことに、心が乱された。
TwitterやFacebookも気軽に見られるようになると、他人と無意識に比べるようになった。周りの人はどうしてこんなにも友だちが多いんだろう。それに比べて、私はなんでこんなに友だちが少ないんだろう。
スマホを使い始めてハマった沼は、大学を卒業してからも続いた。もうあの子、結婚したんだ。後輩が子どもの写真を投稿している。私は今を生きるだけで精一杯なのに、みんな幸せそう。私だって頑張っているのに、なんでうまくいっていないんだろう。
見なくてもいいものまでが見えるスマホ。
手放せばいいのに、気がつけばのぞいている。今何時だろう。明日の天気なんだろう。電車の時刻を調べよう。本当は便利な使い方だけをしているつもりだった。でも、気づけば、見なくてもいい情報も見ている。
やめよう。こんなことしても、自分が悲しくなるだけ。時間ももったいない。そうは思っているのに、結局スマホから離れることができなかった。
スマホは、今日も私のそばにある。
離れないといけない存在なのか。いや、離れないといけないわけではない。有効に使えば、生活は豊かになる。間違った使い方をしなければ、楽しく生活もできる。
ただ、あまりにも深い沼にハマってしまうと、自分の心をすり減らしてしまう。
時々私は、LINEではなく、手紙を書こうと思った。いつ手紙は届くのかな?いつ返事が来るのかな?そのワクワクした時間を楽しむ。その時だけは、スマホをおやすみしようと思った。
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