見知らぬ人のブログに嫉妬し、入学申し込み。比べることは私のガソリン

人と比べてしまう。そんな呪いにいつもかかっていた。
小さな頃からそうだった。あの子よりかわいい、とか、あの子の家はうちよりもお金持ちだ、とか。ほんの些細な差異を見つけては、そこに自分の立ち位置を確かめるようにしがみついていた。優位に立てていると思うときは安心できる。けれど、一歩でも劣っていると感じれば、心はたちまち沈んでいった。
小中学校の頃はまだよかった。成績は悪くなかったし、暮らしも平均的。
「大丈夫。この子たちよりも、上にいる」
そう信じられる余裕があった。けれど、私立高校に進んだ瞬間、景色は一変した。
教室を満たしていたのは、育ちの良さが滲む同級生たちだった。きれいな歯並びと、くったくのない笑顔。家も、頭も、容姿も、何もかもが自分より優れているように見えた。
「あれ?私、負けてる……」
その呪いが不協和音となって、いつも胸の奥に響いていた。でも、何かを変えられるわけではない。
すべてから逃げるようになり、アニメや漫画の世界に沈みこんだ。当然、大学受験は失敗。高校三年から大学一年にかけての私は、コンプレックスという呪いに縛られ、息をするだけで精一杯だった。
社会人になってからは、別の意味で呼吸ができなくなった。「メガバンクの法人営業」という肩書は聞こえが良いけれど、実際は連日の飲み会、休日のゴルフ、資格試験の勉強に追われ続ける日々。コンプレックスなんて考える暇もない。
でも、それが逆に救いだった。心の奥に沈殿している黒い感情をかき混ぜる時間など、与えられなかったから。もし定時で帰り、自分の人生について考えていたら、超エリートの同期たちと比べて発狂していたかもしれない。
ほどなくして、子どもを三人産んだ。フランスに引越して、上の子ふたりが小学校に入り、少し時間ができたころ、私はまた比べ始めた。今度は自分のキャリアについて。3回の育休と産休で、独身の女友達との差は明らかだった。
彼女たちは、美容や服や自己投資にお金を惜しまない。びっくりするくらいキレイだ。胸も、まだ誰にも吸い尽くされていない。授乳で小さくなった自分の胸も、たるんだお尻も、ぜんぶ肯定できなかった。
ある夜、自宅に夫の同僚を招いた。家族ぐるみで仲良くしている彼と、ワインを飲みながら、思わず愚痴が口からこぼれる。
「フランス人と結婚している女性はいいですよね。困ったら横にいる人に聞けばいいから、人生イージーモードじゃないですか。私はいつも戸惑ってばかりで……」
彼は仕事上、話を聞くのがうまい。アルコールの力を借りて、私は続けた。
「しかも、親からもらった郊外の広い家に住んでいたり、パリの中心に住んでいたりする。私はそのどっちでもないから、うらやましく思うんです」
沈黙。そして、彼は私をまっすぐに見て言った。
「綾部さんは、自分に自信がないよ。俺は誰かと話しても、そんなことは全く気にならない」
その瞬間、時間が止まったように感じた。以前にも懇意にしている編集者から、同じことを言われたことがあったから。「君の弱点は、決定的に自信がないこと」と。
そう。私は自分に自信がない。だからこそ人と比べて、少しでも勝っている部分を探してきた。けれど比べるということは、同時に「負けている部分」を探し出す、諸刃の剣でもある。甘美で残酷な刃を、私はずっと握りしめて生きてきたのだ。
翌朝、あるブログを目にした。子どもを連れて異国に暮らす日本人女性。語学学校に通い、友人を作り、仕事にまでつなげている。記事を読みながら、胸の奥にざわめきが広がった。
「負けたくない」
会ったこともない相手に対して、心はあからさまに反応していた。その衝動のまま、私は語学学校を検索し、申し込みを済ませた。。
そのとき、ふと気づいたのだ。「人と比べてしまう性格は、悪いことばかりじゃないんじゃない?」と。比べ癖は、負けず嫌いというエンジンでもあるのかもしれない。
思えば、夜中まで机に向かっていたのも、鏡の前で化粧を練習したのも、すべて「あの子に負けたくない」からだった。動機はどうあれ、それが私を前へ押し出してきた。
「人と比べるな」と、言う人は多い。でも私は、人と比べなければ動けない。比べて落ち込み、悔しさと抱えて次に向かう。比べることは、私のガソリンなのだ。コンプレックスだと思い込んでいたものは、実はアドバンテージだった。
これからも、私は人と比べ続けるだろう。比べて浮かれ、沈み、それでもまた比べ続ける。それが、私の生き方だから。
コンプレックスがあるからこそ、私は前に進める。そう思えたとき、胸の中で何かがほどけた気がした。私は今日も「あの子」と比べている。でも、もうそれは呪いではない。私を動かす、ささやかな燃料になっている。
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