正直、私は大学受験に失敗した。
それがコンプレックスだった。

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幼稚園からエスカレーターのそれなりに名の知れた有名私立の中高一貫の女子校に通い、私はそれまで挫折を知らなかった。

おまけに、「ピアノを習いたい」といえば、ピアノ教室に行かせてくれるし、「塾に行きたい」といえば塾に行かせてくれる、経済的にも子どものやりたいを尊重させられる、そんな教育方針の親のもとに育った。

今思えば、父親は家族のために働き、その「家族のため」というのは、好アクセスで住みやすい東京23区のマンションに住むという意味でもあれば、私も兄弟も含めて幼稚園や小学校から私立の一貫校に通わせ、おまけに習い事もさせられる”教育費に多分に費やせられる”という意味でもあった。

これまでの生い立ちを振り返ると、両親は、私たち”子どものため”に本人が犠牲になり過ぎていないか?と思うこともあるほどだ。

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小学校からいわゆる有名私立の”良い学校”に入れて、もちろん”良い大学“を出て、”良い会社”に勤めることを両親が望んでいたのかどうかは、いまだに私はわからない。

少なくとも、両親が、いまの私と同じ30歳ぐらいの時は、日本経済は今よりはマシで、世界的にみても疫病の流行など、人々が数年間にわたり(先進国でも)こんなにも未知との闘いをしなければいけなかったり、混沌とした未来に怯えながらどう生きればいいのか?模索しながら生きていく時代ではなかったのではないかと思う。

そう思うと、バブル世代とは違っても、今よりは未来に希望を持てていたし、だからこそ、レールに沿って頑張っていくことが求められていたとも思う。だから、それだけ会社での仕事も、養育費を費やす形での子育ても、明確に頑張れたのではないか?と時々思うことがある。

少なくとも、両親が私や兄弟にしてくれたことへは、今、自分が結婚や出産を考える年齢になって、改めて感謝をしている。

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私は大学受験に失敗したので、就職するまでずっと学歴コンプレックスがあった。

「勉強を頑張れなかったわけではない。本当に出来なかった」

そんな苦手意識や劣等感で、大学時代を過ごしていた。

いざ、新卒の就活の際は、見事に”良い会社”に就職できた。これは、私は「やっと報われた」という気持ちだった。

でも、念願だったその会社は、すぐに辞めてしまった。

就職して、私は自ら望んで(社会的に良いとされる)この会社で働くことになったけど、自分の本当の幸せとは違うんだな」と、心から気付いてしまい、虚しさを感じたのを覚えている。

その経験から、キャリア観や自分の中での価値観の優先順位など、本当に大きく変わった。

希望の環境に就職して退職してから、いつしかコンプレックスがアドバンテージに変わり、自分らしく生きるようになった。

自分らしく生きて、20代最後に結婚を考えられる彼氏と出会い、すべてが順調にいけば30代で私は結婚をし、子どもを持つと思う。子どもを持ちながら、もちろん仕事もする予定だ。

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私は、子供はもちろん大事だが、子育てはあくまで自分の人生の一部で、子供ばかりを優先する個人や夫婦でいたくない。自分もフルタイムで仕事を続けながら子育てをしたいなと思っている。

もちろん現実はそんなに甘くないはず。

でも、やはり親である以上に個人であるし、子どもに説得力のある姿を見せられるよう、自分の仕事人生も充実させ、家族と共に人生を歩んでいきたいと思っている。